高牟(たかむ)神社

名古屋市千種区今池1-4-18 (平成24年4月29日)

東経136度56分07.73秒、北緯35度09分57.57秒に鎮座。

この神社は、中央本線・千種駅の南東300m程の辺り、ビルや住宅が立ち並ぶ街中の鎮座しております。第十三代成務天皇(131年)の御代に鎮座され、貞観七年(865)第56代清和天皇の御代に社殿を造営。その折に、勅令により応神天皇が配祀されたと伝えられる、由緒ある式内社であります。

祭神 高皇産霊神・神皇産霊神・應神天皇

式内高牟神社御由緒略記
成務天皇の御代(約二千年前)の鎮座、清和天皇の御時、御造営に際して應神天皇を配祀されました。延喜式神名帳(約千年前の書)所載尾張國十七座の一にして国内神名帳に従三位高牟久天神とあり、古くは八幡宮と号して又應神天皇束帯乗船の香木座像により船出八幡と称するのもこれが為で俗に古井の八幡と称されております。
造化三神中の二柱で陰陽両面を顕はされた、むすび信仰の神で万物の生成化育発の根源の生命神と仰ぎ奉るべき最上の祖神様であります。

元古井伝説地
昔、このあたりは常世の草香島と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。また、この付近一帯は、尾張物部氏の集落の一画であったといい、村人たちの武器や農具を納めた倉が、後に高牟神社になったといわれている。
名古屋市教育委員会

由緒書き等の原文はこちら。

成務天皇の時代に創建され、清和天皇の時代に応神天皇が配祀されたと伝えられる。当社及び物部神社(東区)が所在するJR中央本線千種駅周辺の地域は、古代には物部氏の拠点があったといわれる。当社は物部氏の武器庫が神社になったとされ、社名の「高牟」は古代武器の象徴だった鉾の美称という。
『延喜式神名帳』にみえる尾張国愛智郡(愛知郡)17座のうちの小社「高牟神社」に比定されている。また、『尾張国内神名帳』には「高牟久天神」の記載がある。
嘉吉元年(1441年)以降、複数の社殿造営・修復の記録が伝わる。尾張藩第2代藩主・徳川光友は、天和3年(1683年)に社殿を修造して篤く崇敬した。
明治5年(1873年)、近代社格制度において郷社に列した。太平洋戦争の空襲で社殿等は焼失し、戦後再建された。
ウィキペディア より

社頭

鳥居と社号標

蕃塀

境内

拝殿

牡丹を銜えたお洒落な岩狛。拡大写真はこちら。
(大正8年(1919)1月建立)

神額

拝殿内部

金と銀の神殿狛犬

本殿


境内隅の末社。左より、徳義稲荷社・祖霊社・秋葉社。

徳義稲荷社 祖霊社

秋葉社

小ぶりながら結構厳つい浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

末社

左より、多賀社・金刀比羅社・厳島社・神明社・白山社・津島社。

北野天神社、高牟龍神社入口

古井の霊水

保存樹アベマキ