柳原神社

韮崎市中田町小田川1259 (令和4年4月5日)

東経138度26分07.52秒、北緯35度45分20.00秒に鎮座。

この神社は、JR中央本線・穴山駅の東北東1.6km程の辺り、国道141号線・佐久甲州街道に面して鎮座しております。

御祭神 天照大神・崇徳天皇・罔象女神

由緒
創建年月不詳なるも、慶長年間(1596〜1614)の勧請ならんか。古社地は今の所より、半町東に在りしが、文化年中(1804〜1817)、塩川氾濫のため社殿等流失せしにより今の地に前座せりと云う。明治12年(1879)7月8日村社に列せらる。
毎年12月30日鎮火祭の神事を斎行し村内の火防鎮護の御神徳に勤めらる。又甲斐国志に曰く、神明宮とあり、藤井庄の渠口故に水神を相殿とす。近世金比羅神を配祀して柳原三社と称す。
此の地往昔は柳樹の繁茂せしにより地名、神社名と呼称せしならん。又属里馬場に稲荷社あり、社地16坪除地なり。武田氏の臣馬場氏の建つる所なり。此の辺は往時徳川家康、北条氏直と対陣の戦場なりしと云う。
境内由緒書き より。

文化元(1804)年、生山大隈守による社記には「一、柳原神明宮、藤井庄の堰口にて水の宮大明神相殿に勧請、猶又近来金毘羅権現相殿に勧請柳原三社と申す候」とある。もと村の東の方塩川近く柳の木の下の多い場所に神明宮が祀られて、文化年間塩川の洪水のため現在地に遷座された。そのとき堰の安全のため罔象女命と金毘羅神を祀り柳原三社と呼ばれ、後に柳原神社といわれるようになった
このあたりはまだ自然味溢れた環境が残っているようで、毎年6月中旬にはこの神社を中心とした「ホタル祭り」が開催されているようです。これは昭和61年に結成した「小田川ホタル愛護会」の活動を中心に、人、ホタル、地域の関わりを深めていった結果で、平成元年には、環境庁から「ふるさといきものの里(小動物生息環境保全地域)」の地域指定を受けるなど「ホタルの里」として環境が整えられました。祭りの当日は、ふれあいホタル川や、やまぶきホタル川でのゲンジボタル観賞の他、蛍籠手作り教室が開かれているようです。

神社入口

鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


石祠

神楽殿