南宮大神社

韮崎市大草町上條東割(平成17年6月5日)

この神社は韮崎駅の南2Kmの釜無川西岸、上条東割地区の甘利小学校の南200mに鎮座しています。社伝によれば、諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社であるという事です。新羅三郎義光が甲斐任国の時崇敬して社壇を造営したといい、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬しました。また武田信玄や徳川家にも厚く遇されていたようです。現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・随神門・石鳥居などです。戦前までは、境内に新羅三郎手植と伝えられる桜の巨木があり、植物学上、全国に比類のない珍種とされていたが、惜しくも枯死しました。

【狛犬情報:naitoさんより、北巨摩地方の神社の由緒・沿革を戴きましたので補足致します。】
 御祭神:建御名方命
 諏訪明神すなわち建御名方命を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社である。現在の主祭神は、建御名方命だが、社名からすると、金山彦命が本来の祭神なのかもしれない。あるいは、韮崎中心部の南にあるという理由から南宮と呼ばれたのかもしれないが。 社伝によれば、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が甲斐任国の時に崇敬して社壇を造営したと云い、武田太郎信義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土神として崇敬し、その支族の武川衆諸氏も協力して当社に奉仕した史料を伝えている。

神社入り口

随神門

拝殿

本殿

数々の合祀社