義清神社

中巨摩郡昭和町西条(平成17年6月4日)

この神社は甲府昭和ICを降りて国道20号線を甲府方面に向かい国母の交差点を右折、県道25号線に入り農協支所東交差点を左折し、路なりに300メートルほど進むと左手に森が見え、角を曲がると水路には鯉が泳いでいます。太鼓橋を渡った左手には甲斐源氏祖御旧跡の碑があり、社殿左の遊歩道には義清詠の歌碑が建っていました。この神社に祀られている源義清は、甲斐国に源氏の勢力を最初に扶植した人物ですが、元々は常陸国那珂郡武田郷(茨城県勝田市武田)から追われ、甲斐国市河荘に入ったとされています。その子義光(1110〜1168)は、八ヶ岳南麓逸見荘を根拠に勢力を伸張し、その多くの男子たちを国内の要地に分封することによって、甲斐源氏発展の基礎を固めました。そして義清神社は義清の没後(久安5年=1149・一説久安元年)、その館内に社殿を造営して義清大明神と称したといい、また、社の西に義清の墳墓と伝えられる義清塚があります。この源義清とは八幡太郎義家の弟で甲斐源氏の祖といわれる新羅三郎義光の三男といわれています。またこの神社の他に、市川大門町の熊野神社は、甲斐源氏義清が甲斐の代官時代、平塩に館を構えた時の守護神として祀ったといわれています。

境内入り口、松の枝振りが見事です。

水路には可愛い鯉が
たくさん泳いでいます

境内の様子

馬の像も建てられていました

拝殿

本殿

甲斐源氏祖御旧跡の碑

義清詠の歌碑
詩が読んでありますが
残念ながら読めませんでした

飛天?の石像