酒折神社

甲府市酒折3(平成17年6月4日)

この神社は中央本線・酒折駅の北西約300mに鎮座しています。国道411号線酒折宮入り口交差点に社号標が建ち、北への参道を行くと踏み切りが有り、その踏み切りを渡ると右が山梨学院大附高・中の正門で、正面が酒折宮の境内入り口です。大正十二年に書かれた故楡山神社社司・柳瀬禎治の随想論文集、「楡の木影」には『酒折宮(さかをりのみや)は、式内の古社にして、日本武尊の旧蹟なり。山梨県西山梨郡里垣村大字酒折(現、甲府市酒折町)の地に鎮座し給ふ。主神日本武尊を祀り、相殿に応神天皇を配せらる。境内に有名の碑表あり。国学の泰斗本居宣長翁の撰文、及びその弟子平田篤胤(あつたね)大人の書なり。大正五年社殿炎上、烏有又帰し。氏子の数少なくして再建の望なかりしとおもひけるが、たまたま神域に残れる二大人のものせる石文(いしぶみ)ありて、大いに人々の心を動かし、為めに県下挙りて酒折宮奉建会を起こし、数多の資を寄せて、今は昔にまされる御造営を完成せられたりと、仕ふる宮人の涙ながらに語られたり。かかる世に、はしなくも石文のはたらける美はしき事蹟は、洵(まこと)に斯道の為め、めでたき事になむ。』とあり神社存続の難しさは今も昔も余り変わらない事が窺がえます。由緒によると日本武尊が東征の帰路、相模足柄〜御坂道を通りこの酒折の地で休まれた折り『新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる』と歌を詠まれました。そこでその御火焼の役目の老人、塩海足尼が、御歌に続けて『かがなべて 夜には九夜 日には十日を』と歌を返しました。日本武尊は塩海足尼を誉めて、すぐに東国の国造の姓を授け、ここに日本の連歌が始まったということです。

国道入り口の社号標

通学路となっている参道

参道は踏み切りで分断されています

境内入り口

境内の様子、
凄い顔のしょうわ狛犬も居ます

立派な拝殿

神明造りの簡潔な本殿

蚕影大神の文字碑と合祀社