正八幡宮

山口市秋穂西337(平成20年8月2日)

東経131度25分54.22秒、北緯34度1分53.16秒に鎮座。

この神社は、秋穂の中心部、194号・山口秋穂線・宮の前バス停のすぐ近くが参道入り口になります。入り口より燈籠の並ぶ参道を、東へ300m程行くと、正面に鎮座しております。

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・外十一神

伝えるところによると、応仁5年(814)に外敵侵攻にたいする護りとして、宇佐から八幡神を二島の海汀(二島古宮の地)に勧進したのがその創めである。文亀元年(1501)に大内義興が現在地に社寺を移したという。現在の社殿は元文5年(1740)に藩主毛利宗広によって建立されたものである。当社は古くから大内氏、毛利氏の尊崇があつく、それぞれの時代に神領を給されていた。江戸時代には社家が十四軒あり、秋穂、二島の総氏神として崇められ、祭礼も厳粛盛大であった。
 明治六年に郷社となり、明治三十四年に県社に昇格したが、太平洋戦争後社格は廃された。昭和二十七年、宗教法人「八幡宮」としたが、同三十六年に「正八幡宮」と改めた。
平成元年九月二日、本殿・拝殿・楼門・庁屋の建造物と棟札が国指定の重要文化財となった。
参拝の栞より。

本社は弘仁五年(814)に宇佐から八幡神を二島の古宮の地(現山口市秋穂二島)に勧請、文亀元年(1501)に大内義興が現在地に移築。棟札等によれば、江戸時代の元文五年(1740)藩主毛利宗広が改築したのが現建物である。本殿は、三間社流造りで、屋根は桧皮葺、周囲を霧除けで覆っている。・・・
国指定重要文化財の説明より。全文はこちら。

参道入り口

周りを見ると石橋や懸社と書かれた石碑等があります。ず〜と社地だったようです。

参道

二の鳥居。鳥居の説明はこちら。防長二国に押し込まれた毛利家が開拓に力を入れた様子が伺えます。

燈籠の並ぶ参道

楼拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天明5年(1785)8月15日建立) 赤間関 菊屋平七

拝殿

本殿

正八幡宮平面図はこちら。

松尾社