黒山八幡宮

山口市鋳銭司4009(平成20年8月1日)

東経131度27分24.57秒、北緯34度4分53.42秒に鎮座。

この神社は、山陽本線四辻駅の北東800m程の辺りに鎮座しております。住所の「鋳銭司」は現在の読みは「すせんじ」ですが嘗ては「じゅせんし・ちゅうせんし」と読み、古代日本に置かれた令外官の一つで、銭貨鋳造を司ったようです。地図を見ると、この神社の西1km程の辺りに「周防鋳銭司遺跡」というのが目に入ります。

鋳銭司
銭貨の鋳造を担った。持統天皇の時代に初めて置かれ、以後も名前を変えながら断続的に設置された。和同開珎鋳造時には催鋳銭司(さいじゅせんし)が置かれている。また819年から825年には鋳銭使が長門国に置かれ長門国司の職務も兼ねた。平安時代後期に貨幣鋳造が行われなくなると鋳銭司が設置されることもなくなった。鋳造所は河内国、周防国、長門国などに設置された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

祭神:応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・三女神
弘仁7年(816)鎮座と伝え、古くは黒山宮といっていた。中央の史書三代実録に貞観十五年(873)九月の条に「鋳銭司正六位上黒山神に従五位を授く」とあるのはこの神社のことである。黒山の神とは鋳造に関係のある神であるという。中世に豊前宇佐から八幡宮を勧請合祀して黒山八幡宮と称する様になった。・・・・

参道入り口に建つ一の鳥居

神社正面

神社入り口

境内正面

江戸時代初期の再建と言う楼拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文化12年(1815)正月吉日建立)

拝殿内部。正面の額は「御誓文」。普通「五箇条の御誓文」と言われています。1.広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ。2.上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ。3.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス。4.旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ。5.智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ。

色鮮やかな神殿狛犬。拡大写真はこちら。

本殿