赤崎神社

山口市秋穂東2566(平成20年8月2日)

東経131度28分4.09秒、北緯34度0分53.64秒に鎮座。

この神社は、大海湾の西側、防府新大橋の対面に鎮座しております。地図を見ると近くに赤崎公民館が見えます。町村合併前には赤崎と呼ばれていたのでしょうか。

主祭神:田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
配祀神:大年神・天御中主神

奈良時代の神亀四年(727)、鎮座と云う。しかし『道中家文書』によると、それより以前天智天皇の御宇(662〜)、三女神のお供をして道中大和守水沼重基が、嶋山を巡りはじめて七日七夜の後、この三女神を奉祭する、とも伝える。又社伝として伝えられる記録によると、鎌倉時代の元暦二年(1185)、源義経が平家追討のためにこの浦に船をよせられ、当社に参詣された。朝敵退治の御祈祷をし、神楽を奏じつつ「千はやふる神の誓いを今ぞしる」と打ち詠じ給うた。すると、空中より妙なる御声が聞えたので、「さては神明感応ましましけりと信心肝に銘じ給うた」と『風土注進案』には書かれている。現に、近年まで源義経奉納の鎧と称するものがあったが、現在は見あたらない。又社殿北側にある平らな約二畳余りの石を、「義経汐待ち石」と云い伝えている。安土桃山時代の文禄四年(1595)に社殿焼失。江戸時代の正保元年(1644)に再建。正徳三年(1713)に「赤崎大明神縁起」ができ、現存している。更に文化九年(1812)、社殿再建。この頃、参道の両側にある多くの灯籠等の石造物も奉納されている。又、明治十三年(1880)、拝殿が再建されたと云う。当社は、牛馬安全守護の神として崇敬されている。当社の別当坊は、長徳寺(現在の大昌寺)であった。昭和六年(1931)村社に列する。
山口県神社庁より。

江戸時代の御祭神は赤崎大明神だったようです。やはりここも明治政府により御祭神が書き換えられたのでしょうか。

参道入り口と一の鳥居。拝殿迄は150m程もあるでしょうか。後ろは小浜山。

拝殿

拝殿前の狛犬。残念乍ら阿のお顔が欠けています。拡大写真はこちら。

(享和3年(1803)8月建立)

拝殿の天井絵

本殿

境内の末社と嘗ての狛犬達。

由緒書に登場する「義経汐待ちの石」。