志多里(しだり)八幡宮

山口市大内御堀3486 (平成29年7月23日)

東経131度30分07.59秒、北緯34度08分31.56秒に鎮座。

この神社は、中国自動車・山口ICの西3km程の辺り、大内御堀の街外れに鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・市杵嶋姫命・多岐津姫命・多岐里姫命

由緒
今を遡ること約650年前、観応3年(正平7年、1352)に大内の家臣、小野和泉守平弘兼が宇佐より勧請といわれています。
観応3年(1352)の棟札、応永8年(1401)の棟札、天正10年(1582)の棟札、それぞれの写し残っており、これら創建時また建て替え、修理をした記録があります。
社殿には神社を庇護し問田を支配した益田家の○に久の家紋が残っています。
境内には亀趺に乗せた神社の由来を記した志多里八幡宮石碑があり、又明治維新頃国学者として石見、豊前まで講説して歩き活躍した神主佐伯八雲の碑が近藤清石の碑文で残っています。・・・・・
境内由緒書き より。

一の鳥居

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

本殿正面


石碑と亀趺