長野八幡宮

山口市大内長野49 (平成29年7月23日)

東経131度31分32.44秒、北緯34度09分45.78秒に鎮座。

この神社は、中国自動車・山口ICの北1.5km程の辺り、大内長野の街外れに鎮座しております。

御祭神 応神天皇・神功皇后・三女神(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)・大己貴命・少彦名命・天御中主命

由緒
社伝によると寛治3年(1089)に長野長者の平忠平というものが宇佐八幡宮を勧請しこの地に社殿を建てたという。中世には大内氏の崇敬があつく、大内弘世は社殿を修理し境内を整備した。大内氏が亡んだ後兵乱により焼失したがこの地の人々は心をあわせて社殿を再建し旧観に復した。現在の社殿は江戸時代中期の造営にかかるものである。明治六年郷社に列せられた。
境内は広く林泉も清らかで、慶応2年(1866)の春、藩主毛利敬親公が、本社の藤をの花をめでられたこともある。
昔は本社の秋祭には「長野町」といってにぎやかな市がたった。この市で宮市の兄部の店があいもの(干魚)などを売っていたことが古い記録などで知れる。山口の町からも多くの参拝者があったといわれる。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(文化7年(1810)庚午3月吉日建立)

拝殿内部

本殿覆屋

本殿正面


末社