八幡宮

山口市徳地船路2617 (令和4年8月22日)

東経131度38分57.43秒、北緯34度14分40.80秒に鎮座。

この神社は、中国自動車道・徳地ICの北北西5km程の辺り、徳地船路の街外れに鎮座しております。

御祭神 道反大神・八幡大神・羽明玉命

由緒
本社は旧号を「式内御坂神社」と称していた。社伝には、「道反神大国主神二神同躰の神秘也、古天穂日命筑紫より出雲に到り玉う時、當郷弥坂山に出顕し玉ひ、人皇十二代景行天皇周防婆磨に行幸の時、神託に依り三綱柏葉に飯を包み、川蜷を供え祭祀し玉う云々」とある。従って三綱柏を社紋とし、例祭には川蜷を献供するはこのためである。平安時代の延喜の頃(九〇一〜)周防国十社の一つであった。社殿は陽悦山の麓上野に在った(今宮跡、馬場は田野という)。戦国時代の永保三年(一五六〇)、当社は焼失し、同村下庄字上野原に社地を見立て再建する。鎌倉時代の寛元二年(一二四四)、上野貞光が二宮・玉祖神主兼務の時、大内弘貞の命により、二宮・玉祖より八幡大神を勧請し、これより御坂八幡と称え奉る。又室町時代の応仁元年(一四六七)、洪水により社殿が埋没したため、現今の社地に奉遷するという。江戸時代の寛保の頃(一七四一〜)より式内争いが起り、三坂神社と長い間論争を行ったが、明治四年(一八七一)、式内社は三坂神社に決した。このため、当社は社号換えを命じられ、この時より八幡宮と呼称することになった。羽明玉命配祀の由来ははっきりしない(旧県社)。
山口県神社庁公式サイト より。

参道入口

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政12年(1800)建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


末社