善和八幡宮

宇部市善和829(平成20年8月2日)

東経131度17分40.39秒、北緯34度1分16.87秒に鎮座。

この神社は、山口市と宇部市の境に近く、周りはゴルフ場や牧場等で囲まれています。江戸時代も周防・長門の国境で、結構もめたようです。

御祭神:仲哀天皇・応神天皇・神功皇后

青岳の北方にある善和の小丘、八幡山に鎮座。この地は藩政時代周防・長門の国境にあり、古くから境界が明確でないことから、小郡宰判、船木宰判の論争地となり、どちらへも所属せず間地(カンジ)と称せられていたが、文久年間農民の争論起り、遂に乱闘事件に発展、為に萩藩は慶応四年(1868)四月十三日車地・井関・佐山の各村から切り離し、独立の宰判を置き、善和宰判と名付け、村名も間地の名を廃し、「善く和す」の願いを込めて「善和村」と命名した。
当八幡宮は明治三年(1870)山口から今八幡宮の御分霊を勧請し、以後善和の里の総氏神として尊崇厚く今日に至る。
境内由緒書より。全文はこちら。

宰判「さいばん」は萩藩独特の行政区分で、今でいう郡にあたります。萩藩は18の宰判に分けられ、それぞれに勘場「かんば」と呼ばれた役所が置かれていたようです。

490号線より見る、神社入り口。ここから境内までは500m程でしょうか。しかし我々はここより1km程北へ行った善和橋を渡り、善和牧場へと向う道を通り参拝しました。

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治11年(1878)4月吉日建立)

本殿

境内よりの景色