梶返天満宮

宇部市西梶返1-6-11(平成20年8月2日)

東経131度15分58.2秒、北緯33度57分8.94秒に鎮座。

この神社は、宇部港の北東3km程の辺り、宇部市の住宅街の中に鎮座しております。

今より1080年前、延喜元年菅原道真公が九州大宰府に流される道中、三田尻港を出てまもなく海上大暴風雨にあい梶返の辻地蔵岬に避難して風のやむのを待った。その場所が、当時着巌森と呼び現在の社殿地である。
当時はこの地を梶返地蔵見崎ヶ崎などど呼んでいた。この付近の人は梶返地蔵岬を船出され三年後に九州大宰府で死去された道真公の徳を慕って社を建て、着巌社といい後に着巌天満宮ともいった。この地が梶返と呼ばれるのは道真公の乗っておられた船の舵をかえしたことからだといわれている。
当時この付近は海岸であり入海であった。その後天文三年(1534)と元文三年(1738)福原元貞公の代に再建され、文化八年(1811)に社殿の改修を行っている。福原元「人+問」(越後公)もみずから参拝されて和歌数首を詠んでいる。その後大正末期にも社殿を改造し境内(西側)を拡張した。
大東亜戦争中昭和二十年七月二日払暁米軍による空襲焼夷爆撃により大半を消失した。昭和二十八年五月梶返東西部落外有志相協力して再建し現在に至っている。氏子は現在梶返東西部落であるが以前は野中、恩田、笹山部落も含まれていて毎年五月十一日の祭日には農具市がたっていたという。
どの鳥居の額か詳らかでないが、文久元年(1861)床波、現在西岐波区の柳原弥四郎が奉納している。このような由緒ある天満宮を梶返東西部落民が中心となり守護神として先祖代々祭祀してきた。
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。ここ長州は端正な顔立ちの狛犬が多いのですが、これはユニーク。拡大写真はこちら。

(文化12年(1815)春建立)

拝殿と本殿

御神木