杜屋神社

下関市豊浦町大字黒井1541 (平成20年7月30日)

東経130度54分49.32秒、北緯34度7分11.26秒に鎮座。

この神社は、山陰本線・黒井村駅の南400m程の辺りに鎮座しております。下関からの国道191号線を響灘を左手に北上、豊浦町に入っておよそ2〜3Kmで、JR山陰本線の向こうに鳥居と社号標?が見えてきます。

千古の名社
長門国三の宮(延喜式内社)
 杜屋神社由来
主神 三穂津姫神
配祀 厚母八幡宮、萩尾八幡宮、両社を合祀
主神三穂津姫神については「日本書紀」神代下に次のように記載されています。
「時に高皇産霊尊、大物主神に勅したまはく、汝若し国神を以て妻とせば、吾猶ほ汝を疏き心有りと謂はむ。故れ今吾が女三穂津姫を以て汝に配せて妻と為む。宜しく八十萬神を領ゐて、永き皇孫の為に護り奉れと。乃ち還り降らしむ。」

延喜式(醍醐天皇延長五年(九二七年)に撰進せられた法典)に次の通り載録されています。
長門国 五座(大三座、小二座)
豊浦郡 五座(大三座、小二座)
住吉坐荒魂神社 三座(並名神大)
忌宮神社 村屋神社

註 この「村屋神社」が当社であることは神祇史料等で明らかである。

杜屋神社は、延長5年(927)に撰進された『延喜式』の神名帳に社名が記載されている社格高い「式内社」であり、長門国三の宮と称されている。
本殿は以後には「磐境」と思われる岩室もあるなど、上代からの由緒を感じさせられる神社で、社宝も指定物件以外にも多数保存されている。
境内由緒書より抜粋。全文はこちら。

一の鳥居と書きたいところですが、実は道がありません。手前は山陰本線。神社はこの左手で、どうも反対側に参道があるようです。我々が車を止めたのは、寿司割烹・鬼ヶ城の駐車場で「ちょうど昼時だから、参拝後ここで昼飯にしよう。」・・・・という訳で線路を歩いての参拝となりました。

社号標

どうせ田舎の電車、めったに来る筈は無い。と勝手に決めて線路を歩いていると、比較的近くで警報機の音が聞こえます。慌てて線路から離れ後から来る我が愚妻にも声を掛けると、何と電車がやって来るではありませんか。

あと数秒遅ければ、今頃夜空で狛犬座になっていたかも知れません。100m程北へ行くと踏み切りが有り、参道正面へ行けるようです。これをご覧になった方には正規のルートでの参拝を強くお勧めします。

こちらが正しい入り口のようです。鳥居の向こうは厚母川に架かる神橋。

神門

神門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化3年(1846)丙午8月吉日建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥12月吉日建立)

拝殿内部

本殿

本殿後ろの磐境(いわさか)


脇参道入り口

脇参道を守る狛犬。拡大写真はこちら。

(万延元年(1860)庚申9月吉日建立)


脇参道入り口

脇参道を守る狛犬。拡大写真はこちら。

(安政3年(1856)丙辰建立)


境内片隅の狛犬

護る対象不明な狛犬。拡大写真はこちら。

(安政4年(1857)丁巳1月吉日建立)


末社拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保15年(1844)甲辰11月吉辰建立)

本殿


石祠