下関市豊北町神田肥中(平成20年7月30日)
東経130度53分58.23秒、北緯34度19分28.59秒に鎮座。
この神社は、肥中漁港の北200m程の辺り、下関市指定天然記念物「肥中七神社の社叢」を背景に鎮座しております。
御祭神:大名牟遲之命・須佐之男命・櫛稻田姫之命
当地は大内氏の時代から、大内氏・毛利氏が九州その他の地に対しての進攻の拠点として、水軍を配置した要地であった。
この頃、当地七つの講が有り、それは「恵比須講・宮地講・天神講・神明講・荒神講・金比羅講・庚神講」であった。それぞれの講ごとに小社を祭り、講内の信仰が大変篤かった。
当社は、講の総鎮守神として「七神大明社」と呼ばれた。当初から、神田郷総氏神(住吉八幡宮)の摂社であったが、昭和四年(1929)村社に昇格した年に、肥中村・特牛村・荒田村・鳴滝村・堀越村五ケ村の氏神となった。
神社の読み方は「ひちじんじゃ」と読むようです。我が親父は東京佃島の生まれを自慢していた江戸っ子だが百円を「しゃくえん」と発音していました。山口人も「し」と「ひ」の発音が入れ替わるのでしょうか。
神社全景
神社入り口と鳥居の社額
拝殿。手前は舞殿。
狛犬さんはこんな感じで軒の下に住んでおります。
堂々とした恰幅の良い狛犬です。拡大写真はこちら。
(文政元年(1818)建立)
拝殿の彫刻と木鼻
本殿
この社叢はイスノキを主とする森林で・・・・と教育委員会の説明があります。これが「イスノキ」でしょうか。