大歳神社

下関市竹崎町1-13-10 (令和元年7月21日)

東経130度55分40.35秒、北緯33度56分53.47秒に鎮座。

この神社は、JR山陽本線・下関駅の北東400m程の辺り、竹崎町の街中に鎮座しております。

御祭神 木花咲耶姫神・大歳神・御年神・若年神

由緒
寿永4年(1185)、平家追討の任務を受けた源義経は、壇ノ浦の合戦に望んで武運の守護神と仰ぐ富士浅間の大神の御神助を請い、平家が布陣を整える彦島を望む有明山(JR下関駅東口付近)に小松を植え、篝火を焚き、2日2夜(7日7夜とも云われる)の斎戒沐浴をして戦捷祈願をこめた。
その後、祈念を注いだ桑の弓矢をもって平知盛率いる平家軍に開戦の矢文を射込んだ。
驚いた平家軍は急遽、壇ノ浦に軍船を進め一戦を挑んだが、待機していた源範頼の軍勢と義経軍との挟み撃ちに合い、敢え無く滅亡したと云う。
翌年の文治2年(1186)、4軒の漁民が義経の祈願の有様を畏敬して、神祠を祀ったことが大歳神社の起源とされる。
爾来、武運長久の神としての御神威は光輝を益し、文久3年(1863)、馬関攘夷戦に際しては、高杉晋作の唱導により奇兵隊が氏子・白石正一郎宅にて結成され、維新回天の大業に勇名を馳せた。その時の奇兵隊旗揚げの軍旗は大歳神社に奉納された。翌元治元年(1864)折しも四国連合艦隊との交戦となったが、正一郎は攘夷成就を祈請して大鳥居を奉納した。(鳥居横詳細文有)その後下関の発展とともに昭和15年(1940)関門鉄道トンネル工事の際、社地が鉄道線路敷地に接収され現在の高台に遷座されたが、御神威はいよいよ高く本州最西端の鎮護の神と仰がれている。
殊に、下関において源氏と縁のあることから、古来より勝運の神として崇められ、現在は心願成就のお社としても広く知られている。
境内由緒書き より。

参道入口と白石正一郎寄進の大鳥居

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政5年(1793)3月吉日建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正6年(1917)秋建立)

拝殿内部

本殿前前の神殿狛犬

本殿


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