彦島八幡宮

下関市彦島迫町5-12-9 (令和元年7月22日)

東経130度53分54.42秒、北緯33度56分18.15秒に鎮座。

この神社は、彦島北西、西山小学校の南側すぐに鎮座しております。

御祭神 仲哀天皇・應神天皇・神功皇后・仁徳天皇

由緒
当八幡宮は平治元年(1159)10月本島開拓の主祖河野通次、人皇51代平城天皇の子孫三位中将大江政房の嫡子、豫洲伊豫の國勝山城主で後白河天皇御代、保元の乱に敗退一當を率い保元2年(1157)来島自ら祭主となり宇佐神宮より勧請祭祀せられたものであります。一名灘八幡と言った文に宮の沖合を通過する船は必ず半帆の礼をとったと言われる事から造船漁業関係者の崇敬が厚く、又安産の神として別名子安八幡宮と崇められ御霊験あらたかな神様であります。・・・・・
境内由緒書き より。

平治元年(1159年)10月15日、本島開拓の主祖・河野道次自ら祭主となり宇佐神宮より御祭神を勧請する。1名灘八幡と言っただけに宮の沖合いを通過する船は必ず「半帆」の礼をとったと云われる事から造船、漁業関係者の崇敬が厚く、また、安産の神として別名「子安八幡」と崇められて併せて武神、文化神、生産神として御霊験あらたかな神様である。
当宮創祀者である河野通次は保元元年(1156年)保元の乱(後白河天皇と崇徳上皇間の皇位継承問題と、藤原忠通と藤原頼長間の摂関家の内紛によって源氏と平氏を巻き込んだ権力争い)に敗れた後、園田一覚、二見右京、小川甚六、片山藤蔵、柴崎甚平を率いて彦島の地に敗走し、その二十有余年後には、植田治部、岡野将監、百合野民部、和田義信、登根金吾、富田刑部が来島して総勢12名の将を中心に一族郎党が農耕漁釣に精を出し彦島を開拓した。
彦島八幡宮公式サイト より。

境内の北東300m程の街中に立つ一の鳥居

二の鳥居

随身門

随身門前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正12年(1923)3月13日建立)

随身様

拝殿

拝殿内部

本殿


大歳神社

大歳神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(明治10年(1877)10月吉祥日建立)

社殿縁側の陶器製狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

古代文字彫刻の磐座ペトログラフ

七福神