八幡宮

下関市豊北町角島1412 (令和元年7月23日)

東経130度52分11.79秒、北緯34度21分10.19秒に鎮座。

この神社は、日本海に浮かぶ小島、角島に鎮座しております。

御祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功后皇

由緒
当社は元山にあって角島村の氏神で、室町時代の応永2年(1395)、神田上村の一宮から勧請されたと伝える。古くは祭日も同じであったが、江戸時代の亨保年中(1716-1735)に改められた。旧社家がもと里村にあって、隣に御山といわれる森がある。このことから、社地ももとは里村にあったのではないかともいわれているが、明らかでない。また当宮の祠官を、対岸の者が勤めた時代もあったようで、島戸八幡宮の記録によると、江戸時代の寛文2年(1662)、西嶋伊予椽藤原政次は、島戸・角島両八幡宮の祠官を勤めたとある。しかし元文4年(1739)の『寺社由来』では、岡村右近大夫となっている。社殿は江戸時代の宝暦4年(1754)に再建された。(旧村社)
山口県神社庁公式サイト より。

参道入口

神額

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政5年(1822)壬午秋8月建立)

本殿