油良正八幡宮

大島郡周防大島町油良 (令和4年8月20日)

東経132度19分11.32秒、北緯33度53分55.67秒に鎮座。

この神社は、大島の中央部、くびれた辺りの油良の街外れに鎮座しております。

御祭神 誉田別命・比淘蜷_・息長帯姫命

由緒
当社は、延長年中(923〜930)京都男山八幡宮から勧請した正八幡宮であります。
天保年間(1830〜1843)、源平合戦の時分、島末城(東和町城山)の平知盛を討った義経公は御座船を鹿家の沖に停め、弁慶を召連れて油良村へ来られたのです。義経公は弁慶に命じて、久賀村へ兵糧米も調達に行かせました。弁慶は兵糧米を海路で油良村まで運び、当社の岸の松へ積船を繋ぎ、人夫を使って陸路にて兵糧米を鹿家まで運んだのであります。それ以来村人達は船を繋いだ松を「弁慶の船繋松」と呼ぶようになりました。(その頃は当社のすぐ下まで海であった)・・・・・
境内由緒書き より。*源平合戦は平安時代末。天保年間??

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(弘化4年(1847)丁未12月建立)

拝殿内部

本殿


末社等