廣籏八幡宮

美祢市伊佐町伊佐 (令和元年7月24日)

東経131度15分05.99秒、北緯34度10分13.46秒に鎮座。

この神社は、中国自動車道・美祢ICの北東400m程の辺り、伊佐町伊佐の街外れに鎮座しております。

主祭神 応神天皇・神功皇后
配祀神 玉依姫命・田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命・菅原大神

由緒
社伝によると、奈良時代の天平4年(732)、豊前国宇佐八幡宮より勧請と申し伝える。往古は牛明地区に創建し、元暦2年(1185)の石清水八幡宮文書に「位佐別宮」とあり、当地は伊佐別府とか伊佐庄とかいわれていたことが判る。鎌倉時代の承久の乱(1221)以後、佐々木定綱の子佐々木行綱が当地の地頭職となったが、この地に当社があったので、改めて他所から八幡宮を勧請せず、当社を氏神として尊崇したと考えられる。後に当社は野崎(字永源寺)に遷座されたが、江戸時代の慶安4年(1651)、火災により旧記宝物等をすべて焼失した。現在旧跡地には、八幡宮御神水の碑がある。永源寺は廣籏八幡宮の別当神宮寺であったが、いつの頃か廃寺となる。万治3年(1660)、現在地の曽原亀山地区に社殿を造営し、神主古屋式部太夫藤原則貞外が大祭を斎行し、御神威の発揚に努めた。後の『八幡宮天満宮廟記』には、「宝暦2年(1752)には天満宮を建立し、中殿に別宗札奉納」とある。御神徳を仰ぎ、当社は明和6年(1769)、再建され、明和7年(1770)には社殿境内を拡張植林する。現在天満宮は当社に合祀され、明治6年(1873)郷社に列せられる。
山口県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

境内

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正4年(1915)乙卯11月吉日建立)

境内入口

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥8月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


脇参道入口

脇参道入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治37年(1904)8月15日建立)