秋吉八幡宮

美祢市秋芳町秋吉4979 (令和4年8月18日)

東経131度17分39.54秒、北緯34度12分51.48秒に鎮座。

この神社は、JR美祢線・於福駅の東南東7km程の辺り、秋芳町秋吉の街外れに鎮座しております。

御祭神 応神天皇・仁徳天皇・地主神百済王霊・玉依姫命・神功皇后

由緒
『風土注進案』によれば、「嘉祥年中(一一〇六〜)百済国帝大津郡ニ漂着、此所へ遷住在し、御卒去後霊を祭りて惣鎮守とす」と当社の起源が記されている。さらに続けて「今に残りて毎年九月十三日、野走浦の海潮を汲みとり霊神へ備へ、祭式仕来り候事」とある。漂着の王の名を祐邦と称したと伝えらるが、考証すべきものはない。鎌倉時代の建久三年(一一九二)、秋吉村藤原兵庫介好信が、宇佐八幡宮より分霊を勧請して相殿とし奉斎した。戦国時代の天文年中(一五三二〜)、火災にあって社殿が炎上した。その後、復興したが、江戸時代の明和八年(一七七一)に至って改築を行なった。この時の上棟文を高津う山が書き、その全文が『風土注進案』に記載されている。現在の社殿は、明治三十年(一八九七)に造営されたものである。当社には、社坊真言宗正福寺があった。南北朝時代の康永四年(一三四五)、正福寺住持禅祐の勧進による大般若経が当社に伝来していることを同書には記載しているが、これは現存してはいない。裏山の経塚山は、経巻を埋めた一種の供養塚と思われるが、これに関する記録は見当らない(旧村社)。
山口県神社庁公式サイト より。

参道入口

二の鳥居

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(安政6年(1859)己未4月吉日建立)

木鼻の狛犬と象

本殿


鐘楼

猿田彦大神