岩隈八幡宮

岩国市周東町祖生7184 (令和4年8月21日)

東経132度05分26.71秒、北緯34度04分06.78秒に鎮座。

この神社は、山陽自動車道・玖珂ICの南南東1.4km程の辺り、周東町祖生の街外れに鎮座しております。

御祭神 三毛入野命・誉田別命・帯仲彦命・息長帯姫命・底筒男命・中筒男命・表筒男命

由緒
社は『玖珂郡志』によると、「古老の伝承によれば、昔三毛入野命が祖生郷の岩熊山に降臨された。そこでこの地を熊毛といい、当社を熊毛神社という」と。従って、当社は延喜式内社の熊毛神社というが確証はない。奈良時代の和銅七年(七一四)、祖生郷と瀬田郷の境に八流の旗が天降った。これは八幡神の御降臨と知り、同年豊前国宇佐八幡宮から分霊を勧請したと伝える。戦国時代になると、祖生地区は陶氏の知行するところとなり、当社もまた陶氏らの庇護を受けることになった。戦国時代の作事を棟札銘によってみると、永正十年(一五一三)陶興房を大檀那とし、楼門が再興されている。更に天文三年(一五三四)、社殿を造立する。天文十四年(一五四五)には、本殿などの屋根の葺替えが行われ、安土桃山時代の天正二〜三年(一五七四〜五)、社殿の上棟が行われた。そして江戸時代の元禄四年(一六九一)、玖珂久重山に遷宮する。しかしその後災害が多く、宝永三年(一七〇六)の台風にて社殿が破損する。そのため、村民は旧地にその社殿再建を願い出で、宝永五年(一七〇八)に本殿を建立してここに奉鎮する。更に宝永七年(一七一〇)に祝詞殿を造営すると棟札に書き残されている。現在では元禄四年(一六九一)以前の建造物はない。最も古いものは、宝永五年(一七〇八)の棟札である。次には、享保十一年(一七二六)の吊り灯籠、石灯籠は元文四年(一七三九)、鳥居は寛延元年(一七四八)、石灯籠は宝暦五年(一七五五)、手水盥は安永三年(一七七四)である。慶応四年(一八六八)に当社は火災にあい、社殿や宝物類の大部分を焼失したと伝える。明治二年(一八六九)、領主吉川家より木材の奉納があり、本殿・拝殿を再建する。明治六年(一八七三)村社に列する。明治四十一年(一九〇八)、村内の無格社を集めて境内社の白砂山神社に合祀する。この本殿は、上入野地区の河内神社を移設した。後に、村民から地区の祭りがなくなるのは寂しいと、昭和の初ごろまでに、各地区にそれぞれの氏神様を返還する。現在、上入野地区の河内神社には、同社の二柱の神と、その他二柱の御祭神を奉祀する。
山口県神社庁公式サイト より。

参道

鳥居

参道

境内入口

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(文久3年(1863)癸亥3月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿


末社拝殿

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(明治35年(1902)6月建立)

末社本殿


末社

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)