劔神社

防府市高井1154(平成20年7月31日)

東経131度33分22.55秒、北緯34度4分15.8秒に鎮座。

この神社は、262号線・萩往還と山陽新幹線が交差する所の南東すぐ近く、新幹線の高架を背に南向きに鎮座しております。新幹線の高架の更に北側には、右田ヶ岳が聳え立っています。嘗てはこの山を御神体としていた事もあったのでしょうか。

剱神社由緒
 本社は人皇第六十代醍醐天皇の時に作られた延喜式(905)に登載されている式内神社で、最も古い周防国十座の中の一座である。
社伝に人皇第十四代仲哀天皇熊襲御親征の時、当地に行幸し、賊徒降伏祈願のため「八握の剣」を御神体とし、武勇の神「素盞嗚尊」を鎮祭し玉うたに初まり、神功皇后夷賊御征伐の際、傍の坂に登り、海上を臨み、神徳の加護を祝して群臣と共に御勝利の雄叫びをあげ玉う。よってこの坂を名付けて勝獲坂(今の勝坂)と称す。
この事跡を慕い源義経は西下の際参拝して弓矢鎧鉾を奉納し、太閤豊臣秀吉も九州進発の時に、願をかけ、帰陣の後、唐の太鼓を寄進した。
 大内、毛利氏代々も尊崇厚く広大な神田を寄進して戦勝並びに領内平穏と五穀豊穣とを祈願した。
往古、長暦年中(1037)までは国幣使を立てられていたが、明治維新後、郷社に列せられた。
なお昭和四十三年二月一日、山形県鎮座の居合神社の御分霊を配祀した。
境内由緒書より。全文はこちら。

あ社号標と神社入り口。後ろに見えるのが「右田ヶ岳」。

社号標と参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保3?年(1832)9月吉日建立)

本殿

焼火神社