繁枝(しげし)神社

防府市台道422(平成20年8月1日)

東経131度29分19.15秒、北緯34度3分8.95秒に鎮座。

この神社は、山陽本線・大道駅の北西300m程の辺りに鎮座しております。通称「繁枝の八幡様」と呼ばれているようです。多くの神社を合祀した為、八幡とは呼び辛くなったのでしょう。神社名を地名にする事は良く見受けられます。

主祭神:誉田別大神
配祀神:天御中主大神・神功皇后・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命・速秋津彦大神・速秋津姫大神・瀬織津姫大神・事代主命・表筒男命・中筒男命・底筒男命 菅原大神・東條九郎右衛門命

長沢池を造った東條九郎右衛門がここでも祀られています。米本位制とも言える江戸時代、米を作る為に絶対必要であった水。長沢池は米造りに多大な貢献をしたのでしょう。減反政策や高齢化で農地が荒れている今日この頃!東條九郎右衛門が今の日本を見たらきっと涙を流すと思います。

社伝等によると、飛鳥時代の天武天皇十三年(六八五)、日津喜麻呂豊国宿祢が奉祭せる守護神を、大股の里の住人下津五郎万正好の要請により、下津令の里(通称踊り場)に社殿を創建し、鎮斎したものという。以来、豊国宿祢の子孫である林氏が、代々奉仕するところとなる。その後、台道地区の鎮守として尊崇されていたが、室町時代の応永年間(一三九四〜)、台道村を二分割し、旧山陽道の北側は小股八幡宮を奉祭するところとなった。それ以前の建久二年(一一九一)、当社は下津令より現在地(繁枝)へ奉遷され、跡地には「八幡宮旧蹟」と刻した石碑が建立されている。明治四十一年(一九〇八)、当社へ、厳島神社(岩渕)・河内原神社(河内)・相生社(下津令)・住吉社(高松)・恵比須社(市)・津山社(長沢)以上六神社(当時の村社)を合祀した。当社の拝殿には、毛利元昭公筆の「繁枝八幡宮」掲額がある(旧村社)。
山口県神社庁より。

参道に建つ一の鳥居

鳥居前の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治37年(1904)7月建立)

参道

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(天保7年(1836)7月建立)

拝殿屋根の玉乗り狛犬

拝殿内部と本殿

幣殿にお住まいの神殿狛犬

東側参道入り口

東参道の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治17年(1884)9月吉日建立)

境内の末社