岸津神社

防府市岸津(平成20年8月1日)

東経131度35分41.03秒、北緯34度2分58.6秒に鎮座。

この神社は、三田尻中関港の北側、国府(こくふ)中学校の南東すぐの所に鎮座しております。この神社の北西1km程の辺りに周防国衙跡があり、律令時代はこの辺りが周防國の中心だったようです。

神社入り口と社号標。伝説の琳聖太子が来朝された頃、この地は多々良浜と呼ばれていたようです。嘗て中国地方を治めた大内氏は、百済・聖明王第三子、琳聖太子の子孫だと称しています。

『大内多々良氏譜牒』によれば、大内氏の祖は百済の琳聖太子で、推古天皇19年(611)に周防國多々良に上陸、聖徳太子から多々良姓とともに領地として大内県(あがた)を賜ったと云う。

朝鮮半島を支配した李朝が著した、『李朝実録』が記録した大内氏の通交記事は約150年で200回を超える。朝鮮は太宗14年(1414)以降は通行者を徐々に規制するようになるが、大内氏には日本国王に次ぐ巨酋使(きょしゅうし)の地位を与えて例外とした。同祖関係が信じられていたのでしょう。

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和16年(1941)9月23日建立)

本殿