貴布禰神社

萩市佐々並(平成20年7月31日)

東経131度28分4.86秒、北緯34度16分54.78秒に鎮座。

萩市明木の明木神社で書いた萩往還。繰り返しだが、昔毛利氏が関が原で負け、日本海側の萩に押し込められてしまった。それで江戸参勤交代の、御成道(おなりみち)として開かれたのが、萩往還。萩〜山口〜三田尻間をを結び、西国街道(山陽道)へ抜ける道として、大いに発展していたようです。

その萩往還。難所、一升谷を挟んだ山口側の集落がここ萩市佐々並。由緒書から想像すると江戸時代は違う名称だったようですが、この地も宿場町として大いに栄えたと思われます。

この神社は、歴史ある街道の脇に、人々から忘れ去られたようにひっそりと、大自然の中に鎮座しております。都市の喧騒を離れ、この萩往還を駆け抜けて行った人々に思いを馳せるのも良いのではないでしょうか。

御祭神:高龗神・鵜葺草葺不合・玉依姫尊
由緒:大内氏の建立と伝えられているが、詳細は不明。
京都貴船山中の貴船神社を勧請したものと推定され、水事を主宰する、いわゆる水の神として祈雨、止雨に霊験があった。毛利氏の萩入城に伴い長生庵の古寺をお茶屋に充当したため現在の地に遷座された。当社は市、久年集落の守護神として存在し特に市にはこの社のため従来から火事(失火)を見ないといわれている。・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入り口

参道の石段と一の鳥居。額には貴船大明神と書かれています。

鳥居を潜ると参道だと思います。

参道だったようです。正面に社殿が見えて来ます。

拝殿と本殿

拝殿の額と天井

茫々とした草叢の陰で見えなかったのですが社殿側から見ると、嬉しいことにしっかり居ます。

現在の住所は萩市ですが、嘗ては違っていたのでしょう。萩タイプではありません。拡大写真はこちら。

(寛政7年(1795)9月吉日建立)

拝殿の右手に回ると手水鉢があり、さらに鳥居が見えます。しかし道は草で塞がれており進むのは断念!。