金谷神社

萩市椿2794(平成20年7月31日)

東経131度24分14.46秒、北緯34度23分39.95秒に鎮座。

この神社は、JR山陰本線・萩駅の北400m程の辺り、64号線に面して西向きに鎮座しております。昔毛利氏が関が原で負け、日本海側の萩に押し込められてしまった。それで江戸参勤交代の、御成道(おなりみち)として開かれたのが、萩往還。萩〜三田尻間をを結び、西国街道(山陽道)へ抜ける道として、大いに発展していたようです。

萩城下から旅立つ者、萩城下へやって来た者は必ず金谷神社の前を通ることから、また藩主・毛利家が参勤交代に出発する際には、必ず金谷神社に立ち寄り、道中の安全を祈ったことから、金谷神社は「萩の大木戸」として城下の人々に今も慕われています。

金谷天満宮と大木戸
 当社は、鎌倉時代の長門守護職、佐々木四郎高綱が、大宰府より勧請したといわれ、享保五年(1720)藩主毛利吉元の時、現在地に再興されました。秋の祭礼は萩二大祭の一つで、大名行列、踊り車等の奉納があって賑わいます。
 また、ここは城下町の表玄関ともいえる大木戸のあった所です。番所には常時番人をおき、日没には治安維持のため城下への出入りはさし止められていました。
境内説明書き。

神社入り口と社号標

神橋と神門

割り拝殿

割り拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(寛政6年(1794)10月15日建立)

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

本殿

神池と御神木。石碑は「庚申猿田彦大神」。