萩市明木(平成20年7月31日)
東経131度25分1.64秒、北緯34度20分25.23秒に鎮座。
萩市椿の金谷神社で書いた萩往還。繰り返しだが、昔毛利氏が関が原で負け、日本海側の萩に押し込められてしまった。それで江戸参勤交代の、御成道(おなりみち)として開かれたのが、萩往還。萩〜三田尻間をを結び、西国街道(山陽道)へ抜ける道として、大いに発展していたようです。
この神社は、その萩往還の宿場町として栄えた明木市(あきらぎいち)の中央に鎮座しております。ここが、一升谷と言われる山道の入り口にあたります。一升谷のいわれは、一升の煎豆を食べながら歩くと、それを食べ尽くしてしまう程、長い急坂が続くからだと言われています。
神社入り口。江戸時代は神社のすぐ脇を街道が通っていたのかも知れません。
鳥居の額と石段
拝殿
拝殿前に並ぶ狛犬達。その1。拡大写真はこちら。
(文化5年(1808)10月吉祥日建立)
拝殿前に並ぶ狛犬達。その2。拡大写真はこちら。
(明治6年(1873)10月吉日建立)
拝殿前に並ぶ狛犬達。その3。拡大写真はこちら。
(文久2年(1862)3月吉日建立)
三十六歌仙の額が飾られている拝殿内部と本殿
神社の西側を通る、嘗ての萩往還。一升谷へと続く道。