白子神社

米沢市城北2(平成17年10月8日)

米沢城址・上杉神社のちょうど真北750m、城北2丁目に白子神社があります。創建は和銅5年(712)と伝えられる古社で、伝説によれば、桑林に蚕が現れ、桑の葉を食べ繭になったので、人々はこの地を白子村と呼び、蚕菅(こすげ)神社を建て御祭神を白子(しろこ)明神としたといいます。平安時代に長井宮城総鎮守、鎌倉時代に置賜郡総鎮守、室町時代に置賜一郡総鎮守、江戸時代は米沢城の鎮守となりました。9代米沢藩主上杉鷹山は、17歳で国主になったとき、藩の財政を立て直すことを固く決意。家督を継いだときに読んだ和歌が「受け次ぎて国の司の身となれば、忘れまじきは民の父母」で、誓詞「連年国家衰微し民人相いなずみ(困り)候 因って大倹相行い中興仕り度祈願候 決断もし相怠るにおいては忽ち神罰を蒙るべきもの也」を奉納したのがこの白子神社です。

(石工・佐藤 万作  大正14年7月8日建立)

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社号標

神社入り口

手水舎

こんなに可愛い龍の口から
ご神水が出ていました

青面金剛、庚申塔など

参道の二の鳥居と狛犬

大正も終わりに生まれた狛犬。阿は牡丹の花を咥え、仰向けの子狛と遊んでいます。吽は玉を押さえ、静的な感じがします。少し無骨な感じがありますが、彫りは丁寧で鬣や尻尾の流れが綺麗です。何故か阿の眼だけが赤く塗られています。

仰向けに寝転がり、親狛の前脚を
押し返すような仕草でじゃれている
子狛がとても可愛く、こんな小さな子
まで髪の流れや尻尾に気が使って
あります。

拝殿

本殿

ご神木

末社