鳥海月山両所宮

山形市宮町3-7(平成20年5月5日)

東経140度20分25.3秒、北緯38度16分3.04秒に鎮座。

 この神社は北山形駅の北東約600mに鎮座しています。私達は何の予備知識も持たない方が素晴らしい神社・素敵な狛犬に出会ったときの感動が大きいので下調べをせずに行く事が多く、この社も全くの偶然で参拝させていただいたのですが、宮町の地名の起こりとなった山形随一の大きな神社だそうです。
 道路正面には天明3年(1783)6月建立の三間一戸二階建ての重厚で見事な造りの県指定文化財・随身門が建ち、参道の台輪鳥居を潜るとよく似た姿の平成生まれの出雲丹後狛犬が二対奉納されています。
 正面の拝殿は大きく立派で、その奥に中門、二棟並びの本殿が木々の中に垣間見られます。その右脇には桃山時代の建物として残る境内社・城輪神社が祀られ、手前には伊勢神宮の式年遷宮により拝受した木材で復元した愛宕、熊野、若宮八幡の末社3社が祀られています。
 境内左手には金井の庄の起源とされ、また、金売吉次の金洗いの井戸とも伝えられている金井水があり、弁天池の中の島には境内社・厳嶋神社、池の畔には稲荷神社などが祀られています。

 主祭神:大物忌神、月山神
 例祭日: 8月1日
 境内社:城輪神社、愛宕神社、熊野神社、若宮八幡神社、厳嶋神社、稲荷神社
 由緒:社伝では、源頼義が安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の出羽一宮・鳥海山大物忌神社で鳥海・月山の両神に戦勝祈願し、凱旋した康平6年(1063)、その神恩に報いる為最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請し、国家泰平・武門吉事の神と称したのに始まると伝えられています。古くから「お宮様」と称され、北の総鎮守として尊崇されてきました。
 承安年中(平安時代末期)源義経が宝沢村炭焼藤太の子、吉次信高に嘱して、宮殿及び楼門、回廊、鳥居、玉垣を再建。鎌倉執政北条氏もまたこれを修造し、元弘兵革の後は国司がこれを営みました。
 天正19年(1591)2月、十一代山形城主・最上義光(仙台藩祖独眼竜伊達政宗は義光の妹、義姫の子)は城内二の丸にあった寺・成就院を神社参道西側に移築、別当寺とし、この社を最上家の祈願所とし、江戸時代には歴代山形藩主の鳥居氏・水野氏等の篤い崇敬を受けてきました。
 明治6年(1873)に郷社に列し、明治12年8月に県社に昇格しました。昭和36年からは別表神社に加列されています。
 特殊神事に「ごくだめし(穀様)」があります。これは、旧暦7月1日早朝に飯・胡瓜・茄子・粟穂・稲穂を紙に包んで土中に埋め、翌年の旧暦6月末日に掘り出して豊凶を占うものです。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)

社号標 重厚な造りが見事な随身門

「両所宮随身門」案内はこちらで

随身門表側 木鼻・狛犬と象
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随身門の挙鼻・龍
随身門内の随身さん
透かし戸の中で良く見えませんが気品に満ちたお姿をしています。
随身門天井絵 鳳凰と麒麟
境内から見た随身門
随身門境内側 木鼻・狛犬と象
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参道の様子 台輪鳥居 台輪鳥居藁座
狛犬の顔のレリーフ
参道途中手前の出雲丹後狛犬
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(平成14年(2002)8月1日建立)
参道途中奥の出雲丹後狛犬
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(平成14年(2002)8月1日建立)
大きな拝殿
拝殿に架かる額「月山大神」「大物忌大神」
拝殿と本殿の間に建立されている中門
月山大神と大物忌大神をお祀りする本殿
正面と左右側面から
二つ並びの本殿 後ろから
境内社:城輪神社

境内社:愛宕神社
境内社:若宮八幡神社
境内社:熊野神社
社殿左側 弁天池の畔にある金井水


弁天池の様子
弁天池 中の島に祀られた
境内社:厳嶋神社入口
社殿に架かる社額
境内社:厳嶋神社社殿 池中に祀られた石の祠
弁天池 中の島に祀られた石の祠 弁天池脇でのんびりと休む鴨
境内社:稲荷神社 入口と社殿
境内社