八幡神社

山形市蔵王成沢 (平成22年8月16日)

この神社は、JR蔵王駅の東1.6km程の辺り、小さな山沿いに鎮座しております。神社よりも参道入口の鳥居が有名なようで、検索すると石鳥居ばかりがヒットします。国指定重要文化財で「最上三鳥居」の一つです。

由緒沿革
御祭神 誉田別尊(応神天皇)
当神社は人皇第七十代後冷泉天皇の天喜五年(1057)五月陸奥守源頼義が安倍貞任追討の途次瀧山々麓の丘上に男山八面を分遷し戦捷を祈願したと伝えられる。この丘は八幡山と呼ばれ今日の館山々頂である。住民これを崇拝し天仁二年(1109)高さ九尺三寸柱の廻り九尺三寸笠石三間の石鳥居を建立(国の重文)した。凝灰岩の石鳥居としは日本最古のものと高く評価されております。
永徳三年(1383)山形城主右京大夫直家六男大極兼義が成澤城を八幡山々頂に築城するに当り御託宣により社殿を現在地に遷座し御神徳を賛え十一ヶ村からなる流鏑馬神事が行われ毎年盛大な祭典がなされていた。
元和八年(1622)最上家改易により成澤城も廃城、後の領主堀田正虎公正徳四年(1714)九月社殿を改築明治六年郷社に列せられた。・・・・・以下省略。
境内由緒書より。全文はこちら。

参道入口、国重文の石鳥居。今日は祭礼日のようで、氏子の方々が三々五々集まっております。

国指定重要文化財
八幡神社の石鳥居
凝灰岩製、総高436cm、柱は直径95.5cmの直立円柱で、その上に一石よりなる、島木と笠木をのせている。和様建築のこの石鳥居は平安時代末期の造立と推定されている。
その頃に、この東方の滝山に興隆した仏教文化の遺物と考えられ、同様の石鳥居が、元木地区にものこっており、共に重要文化財に指定されている。
この石材については、瀧山の空清水(うつぼしみず)から、天仁二年(1109)に採石したという古文書が、この地区にのこっている。
本県のみならず、わが国でも最古に属する、貴重な石鳥居である。
山形市教育委員会。原文はこちら。

由緒書と異なり、この石鳥居は八幡山の麓に造られたのではなさそうです。ここより5km程東、瀧山の登山口に西面して立っていたのを、後、八幡神社の鳥居に移建したものだそうです。

参道

石段

拝殿

拝殿内部


長栄稲荷神社

お狐様

社殿


不明の末社

湯殿山供養塔 金毘羅大権現
湯殿山大権現 聖徳太子
八月講供養塔 牛頭天王