椙尾(すぎのお)神社

鶴岡市馬町宮ノ腰169(平成20年5月3日)

東経139度46分10.74秒、北緯38度45分42.54秒に鎮座。

 この神社は、羽後本線・羽前大山駅の北約3km、38号線から西へ一本入った道路に入口があり、県指定有形文化財・石鳥居が建っています。その石鳥居から境内入口までの120m程は一般道と共用の様です。境内入口からはすぐ石段の参道が続き、その石段途中に石製の「めっけ犬」が太い紅白の注連縄を掛け、屋根で守られて座っています。さらに石段を登ると、広い境内にはため息が出るような大きく豪壮な拝殿が建ち、境内の周囲には幾つかの境内社があリますが、これまた小さめの神社ではそれぞれが一社として独立できるような立派な社殿です。拝殿内には庄内三大祭のひとつといわれる大山犬祭りで、行列の先頭で箱車にのせられて町中をねり歩く「めっけ犬」が座布団の上にきちんとお座りしていました。

 御祭神:事代主神 配祀:天津羽々神、竜田彦神、竜田姫神、月山神、大物忌神
 例祭日:1月1日・元旦祭、1月3日・元始祭、1月5日・初通夜祭、1月7日・七種祭、2月・初戊祭、3月22日・祈念祭、4月18日・太々神楽祭、4月20〜23日・氏子廻り、6月1〜3日・神宿御鉾餝、6月4日・斎倉祭三頭、6月5日・例祭、6月22日・夏祭、6月30日・大祓、7月5日・神宿御鉾建、8月8日・風祭、11月26日・新嘗祭、12月17日・十七夜祭、12月31日・大祓
 境内社:八幡宮、大山祇神社、猿田彦神社、天照皇太神宮、羽州大守武藤家御霊殿他
 由緒:正保年間(1644〜1647)火災のため社殿等を焼失し、創建は不詳ですが、欽明天皇の壬戌の年の創祀、あるいは勧請の神社ではなく古来の神跡であるとも云われています。
 中世になり農耕が盛んになるにつれ、風の神の瀧田彦神、瀧田姫神を勧請し、鎌倉時代には地頭・武藤出羽守が、月山神、大物忌神を勧請し、自ら神社の氏子となり篤い崇敬を受けました。又、延喜式内社出羽の九座を奉招し、羽州一国の総祭を奉行したといいます。慶長17年最上義光より黒印高百七十石五斗二升二合を寄進され、最上家滅亡後も酒井家により崇敬参拝されてきました。
 明治以前は小物忌椙尾大明神と云われていましたが、明治2年椙尾神社と改称し、同6年郷社に列し、更に同9年には県社に列格しています。
 尚、始めは西浜の宮沢の海岸に鎮座していましたが、産業等の発展に伴い現在地に遷座されました。社殿は応永年中武藤左京大夫讃岐守武藤政氏により造営されましたが、後、改築され、現存の本殿は萬治4年(1661)の造営、大正4年に大修繕を加えたもので、拝殿は文政9年(1826)造営のものです。又、慶長年中(慶長10年は1605年)武藤家の家臣・下治右衛門、原美濃守の寄進による石の鳥居があり、現在県重要文化財に指定されています。
 また、6月5日の例大祭・大山犬祭りでは、椙尾神社に住むムジナをめっけ犬が退治し部落の苦難を救ったのを祝って、箱車にのせたメッケ犬を先頭に行列が町中をねり歩きます。行列は武藤大守、参拝の大名行列、ムジナにささげた仮女房巫女舞等、祭儀は古式豊かにそのまま行われ、華やかな山車「からぐり」も登場し、「庄内三大祭」のひとつといわれています。

道路脇の石鳥居
社号標
神社入口 石段の参道
参道途中の石製「めっけ犬」
伝承:昔むかし椙尾神社の裏山に田畑を荒らすばけものがおり、村人を困らせておりました。毎年お祭りの日には年頃の娘をいけにえに上げ、逃げかえるならわしでした。
 ある年大山を通りかかった修験者・六部がむじなを退治するめっけ犬が丹波にいることを聞きつけ、次の年に「めっけ犬」を駕籠に乗せお宮にそなえ、夜中に現れた大入道を退治したといいます。
めっけ犬の拡大写真はこちらで
境内入口 境内から入口を振り返る
拝殿前、昭和13年生まれの狛犬
阿は大きな玉を口中に含み、ふくよかな頬と体中の瘤が目立ちます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和13年(1938)12月建立)
大きく荘厳な拝殿
拝殿内の様子

拝殿の挙鼻・木鼻
拝殿内の神殿「めっけ犬」
例大祭・大山犬祭りでは、箱車にのせためっけ犬を先頭に行列が町中をねり歩くようです。
神殿「めっけ犬」拡大写真はこちらで
本殿
境内社入口と社殿
境内社 境内社
境内社入口と社殿
境内社 庚申塔群
手水口の龍