春日神社

鶴岡市黒川宮の下291(平成20年5月3日)

東経139度52分36.52秒、北緯38度39分45.31秒に鎮座。

 この神社は、赤川右岸・黒川地区に鎮座しています。この日はちょうど例大祭の日で、私達が参拝したときには能装束を着た氏子さん達が三々五々集合してきました。境内で振る舞いのこんにゃくを造っていた人たちにも、能装束を着た氏子さん達にもお能の始まる時間をお聞きしたのですが、何方も「さぁ、皆が集まったら…。」というお答えで正確な時間は決まっていないようです。「本来神事はこんなものなのでしょう…。」と、都会人のせっかちさをまたもや思い知る結果となりました。
 神社入口には八重桜や石楠花等のお花が花盛りで、「北国の春は一度にやってくる」を、そのままここで感じとる事が出来ます。鎮守の杜は豊かで、参道の石段を上がる間も境内の周囲も新緑が映え、とても綺麗でした。境内に上がるとすぐに大きな拝殿が建ち、拝殿はそのまま能舞台として使用されています。拝殿の後ろ側は控え室なのでしょうか、沢山の人たちが集合し忙しそうに支度をしていらっしゃいました。流れ造りの本殿は渡り廊下で拝殿と繋がれ、本殿奥の杉林の中には天神宮等の境内社が三社祀られています。また境内左すぐにも報国神社等の境内社が祀られていました。
 境内のずっと奥、左には「黒川能の里 王祇館」が建ち、室町期から伝えられ受け継がれてきた重要無形民俗文化財黒川能は、ここで若い人達にも伝承されているのでしょう。

 御祭神:建御賀豆智命、天津児屋根命、伊波比主命、比売命
 例祭日:2月1日〜2日・王祇祭、3月23日・祈年祭、5月3日・例大祭、11月23日・新嘗祭
 境内社:天神宮、皇太神社、古峯神社、報国神社、疱瘡神社、白山神社
 由緒:創建は平安時代初期の大同2年(806)といわれています。古くは新山明神と称し、享保年間(1716〜1735)には四所明神とも称していましたが、寛政年間(1789〜1800) には春日四所明神と崇められていました。
 13〜16世紀に庄内地方を領有した武藤氏(藤原一門)が篤く崇敬し、神殿造営、神事制定等を行い、社領・祭具・能面等を寄進したことが古記録・遺物により明らかです。
 慶長17年(1612)最上氏により社地が寄進され、元和8年(1622)酒井氏入部後は社領が全免され、特に神事能が重んじられ、鶴岡城中で藩主上覧があり、黒川能を藩楽としました。以後も度々の上覧があり、明治以降春日神社と改称されて以降も、天皇・皇族方の上覧も仰いでいます。
 現在も重要無形民俗文化財の黒川能は、ここ黒川地区の鎮守である春日神社の神事能として、すべて氏子たちの手によって受け継がれています。

「春日神社由緒」はこちらで

神社入口前に咲く 八重桜と石楠花
神社遠景 社号標
神社入口 両部鳥居 両部鳥居に架かる
社額「春日四取社」
神橋と石段の参道 境内入口
拝殿前、春日神社の御眷属・ブロンズの鹿
(昭和41年(1966)11月建立)
大きな拝殿
拝殿内の様子
拝殿は能舞台にもなっています。
本殿
本殿の可愛い木鼻・狛犬
本殿奥に祀られる境内社:天神宮
本殿奥に祀られる境内社:皇太神社
本殿奥に祀られる境内社:古峯神社
境内左に祀られる境内社:報国神社
境内左に祀られる境内社:疱瘡神社、白山神社