出羽三山

出羽神社ー境内ー

 参道最後の石段・十五童坂も過ぎると境内入口の朱の両部鳥居が建っています。昔は江戸講中より寄進された青銅の鳥居がありましたが戦争で供出され、その後庄内の生徒や学童の寄付によって建立されたものです。
 鳥居を潜るとすぐ左手に厳島神社、開祖・蜂子皇子を祀っている蜂子神社が祀られ、また数段の石段を上がるといよいよ国重要文化財指定・三神合祭殿がその姿を現します。萱葺き屋根の豪壮な建物で文政元年(1818)造営といわれていますが、昭和45年〜47年にかけ開山1380年祈年奉賛事業の一環として塗替修復工事が行われました。三神合祭殿は一般神社建築とは異なり、一棟の中に拝殿と御本殿とが造られており、月山・羽黒山・湯殿山の三神が合祭されているところから、合祭殿造りと称される独得の社殿で、内内陣は御深秘殿と称し、古来17年毎に式年の造営が斎行されています。
 社殿前には鏡池が静かな佇まいを見せていますが、この池は御本殿の御手洗池であり、年間を通しほとんど水位が変わらず、神秘な御池として古くより多くの信仰をあつめ、また羽黒信仰の中心でもありました。古書に「羽黒神社」と書いて「いけのみたま」と読ませており、この池を神霊そのものと考え、古来より多くの人々により奉納された銅鏡が埋納されているので、鏡池というのだそうです。
 鏡池の東には国重要文化財・鐘楼と建治の大鐘がありますが、鐘楼は切妻造りの萱葺きで、小さいけれど豪壮な建物で、山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物です。
 その向こう側にはご先祖の御霊を供養する霊祭殿が建ち、羽黒山東照宮の入口奥には東照宮をはじめ右側には大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社、天宥社 などの境内社が、静かに整然と建ち並んでいます。その境内社のつきる辺りに駐車場からの裏参道入口に建つ朱の両部鳥居があり、私達の出羽神社参拝は終了となりました。
 帰りは行きに登った石段を降ればいいのですが、運動不足の初老の身では行きの疲労が引き続いており、ゆっくり降りた私はさほど感じなかったのですが、後から急いで追いかけてきた夫は「膝が笑っている。」とのたもうておりました。
 Am10:00に登り初めて下山したのがPm1:00…、お腹はすきすき、喉はからからで、入口前のおみやげ屋さんで遅めの昼食を摂りましたが、ここのお蕎麦とそば切り(うどんのような感触、喉ごし)のセットと、またまた玉コンニャクの美味しかったこと、神社の参拝とともに思い出の一杯になりました。

境内入口の朱の両部鳥居
表参道石段終点の両部鳥居と本殿の間に鎮座する境内社:厳島神社
 
厳島神社の挙鼻・龍
厳島神社の木鼻・狛犬と象
厳島神社の柱に絡む上り龍・降り龍
表参道石段終点の両部鳥居と本殿の間に鎮座する蜂子神社
出羽三山開祖・蜂子皇子を御祭神として祀っています。蜂子皇子は、推古天皇の御代に出羽三山を開き、五穀の種子を出羽の国に伝え、産業を興し、治病の法を教えるなど、幾多の功徳を残されました。民の全ての苦悩を除くという事から能除太子と称され、舒明天皇の13年10月20日御年91歳で薨去されました。御墓は羽黒山頂バス停より御本殿への参道途中にあり、現在宮内庁が管理しています。
蜂子神社唐破風下の彫刻・二匹の麒麟
蜂子神社挙鼻・龍
蜂子神社木鼻・狛犬と鳳凰?
三神合祭殿前、昭和36年生まれの招魂社系狛犬
(昭和36年(1961)5月建立)
三神合祭殿(さんしんごうさいでん)
社殿は合祭殿造りという羽黒派古修験道独自のもので、高さ28m、桁行24.2m、梁間17mで、内部は総朱塗り、屋根の厚さは2.1mという萱葺きの豪壮な建物です。現在の合祭殿は文政元年(1818)に完成したもので、建設当時は赤松脂塗でしたが、昭和45〜47年にかけ開山1380年祈年奉賛事業の一環として塗替修復工事が行われ、現在に見るような社殿となりました。
平成12年、国の重要文化財に指定されました。
三神社号額、左から「湯殿山神社」「月山神社」「出羽神社」
  
三神合祭殿湯殿山神社挙鼻・龍
三神合祭殿月山神社挙鼻・松に鳥
三神合祭殿出羽神社挙鼻・龍
三神合祭殿木鼻・狛犬と龍
帰ってきてから気がついたのですが、この虹梁上にも真っ黒な力士達が4人座っていました。残念!!
三神合祭殿正面
三山の開祖・蜂子皇子は、難行苦行の末、羽黒大神の御示現を拝し、山頂に羽黒山寂光寺を建立しました。次いで月山神、湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現と称し、奉仕したと云われています。明治の神仏分離後は大権現号を廃して出羽神社と改称し、三所の神々を合祭しているので、三神合祭殿と称しています。
月山・湯殿山は遠く山頂や渓谷にあり、冬季の参拝や祭典を執行することが出来ないので、三山の年中恒例臨時の祭典は全て羽黒山頂の合祭殿で行われています。古くは大堂、本堂、本殿、本社などとも称され、羽黒修験の根本道場でもあります。
萱葺き屋根の鐘楼と建治の大鐘
(国の重要文化財)
最上家信の寄進で元和4年再建しました。
山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物です。
境内社:霊祭殿
出羽三山は往古より祖霊安鎮の山とされ、ご先祖の御霊を供養する風習が現在も行われている。単層入母屋千鳥破風五間社造りの荘厳な建物で昭和58年に再建されたものです。
霊祭殿脇の供養碑
境内社:羽黒山東照宮、遠景と神門
羽黒山東照宮社額 羽黒山東照宮社殿
境内社:大雷神社
境内社:健角身神社
もと行者堂といって役行者を御祭神とし、足の弱い者が下駄を供え、健脚を祈る風習があります。
境内社:稲荷神社
境内社:大山祗神社
境内社:白山神社
境内社:思兼神社
境内社:八坂神社
境内社:天宥社
羽黒山五十世執行別当天宥法印が祀られています。
裏参道方面から見た三神合祭殿・鐘楼・参集殿・東照宮・境内社など
羽黒山南麓から延びる羽黒山道路の終点
駐車場からの裏参道入口に建つ朱の両部鳥居