出羽(いでは)神社(三神合祭殿)

鶴岡市羽黒町手向7(平成20年5月3日)

東経139度59分6.88秒、北緯38度41分58.8秒に鎮座。

 この神社は鶴岡駅の南東約15kmほどの羽黒山(標高419m)山頂に鎮座しています。山頂へは羽黒山南麓から羽黒山道路が通っていますが、14年ほど前に訪れたときの素晴らしい感動が忘れられず、今回も北西麓の手向にある表参道から約2km弱、2446段の階段を登っての参拝を目指しました。(普段だったら100段の階段登りも嫌がる私なのに、今回は何も言わずに随神門に向かう私に夫はビックリ!)
 
 古来、熊野・白山・金峰・英彦山などと並んで修経道の聖地とされた羽黒山・月山・湯殿山を合わせて出羽三山といい、それぞれの山頂にある神社を総称して出羽三山神社といいます。
 羽黒山の出羽神社は延喜式の神名帳に「出羽国田川郡 伊氏波神社」とあり、古代には鬱蒼とした山自体が神でしたが、後に頂上の「池の御霊」と呼ばれる「鏡池」が信仰の中心となり、古い書物では「羽黒神社」と書いて「いけのみたま」と読ませています。
 平安時代の初めには、仏教の強い影響を受けて神仏習合し社殿が設けられるようになると、社殿を中心としした信仰となり、羽黒大権現・羽黒三所権現とも称されました。
 やがて天台宗・真言宗の密教と結びつき、いわゆる羽黒修験道の霊地として発展し、中世以降は東北・関東あるいは熊野からも参籠修行する行者が集まりました。社務は社僧であった別当が統轄していましたが、室町時代の中頃からは武士の勢力が伸び、武藤氏が別当職を譲り受け勢力を拡大していきました。武藤氏滅亡後は最上氏がこれに代わり、ついで上杉氏の手に移りましたが、近世に入って三山の衆徒に委ねられています。
 出羽三山を開いた蜂子皇子は、32代崇峻天皇の第一皇子でしたが、蘇我馬子らの横暴を避け、聖徳太子の勧めにより仏門に入り、弘海と称し旅に出ました。推古天皇元年(593)に出羽国由良に着くと三本足の大烏が飛んできて、皇子を鬱蒼と茂った霊山・羽黒の阿古谷に導きました。 
 皇子が滝の前の石の上で修行を続けていると羽黒の大神が出現し、神の云われるまま苦行を積むとさらに大神のお告げを受け、月山に登拝し月山大神を、さらに湯殿山に至り湯殿山大神の霊徳を感受しました。羽黒の由来は皇子を導いた三本足の大烏の羽色にちなんで名付けたと云うことです。

 御祭神:伊氏波神・稲倉魂命(羽黒権現)
 例祭日:1月元旦・歳旦祭(羽黒山・三神合祭殿)、1月3日・元始祭(羽黒山・三神合祭殿)、1月11日・釿始祭(羽黒山・三神合祭殿)、2月11日・紀元祭(羽黒山・三神合祭殿)、5月5日・母子祭(手向・出羽三山神社社務所)、5月8日・祈年祭(羽黒山・三神合祭殿 特殊神事・御田植祭)、5月17日・東照社祭(羽黒山・東照社)、6月30日・大祓式(羽黒山・三神合祭殿 )、7月15日・例大祭(羽黒山・三神合祭殿)、8月14日・月山神社本宮祭(月山本宮)、8月26日〜9月1日・秋の峰入り、8月31日・蜂子神社祭(羽黒山・蜂子神社 特殊神事・八朔祭 )、9月1日・田面祭(羽黒山・三神合祭殿)、9月6日〜10日・神子修行、9月24日・冬の峰入り 幣立祭(羽黒山参籠所)、10月1日・筒粥祭(羽黒山・三神合祭殿)、10月15日・出羽三山神社崇敬講社祭(羽黒山・三神合祭殿 )、10月17日・神嘗祭当日祭(羽黒山・三神合祭殿)、10月24日・天宥社祭(羽黒山・天宥社)、11月3日・明治祭(羽黒山・三神合祭殿)、11月9日・下居社祭(羽黒山・下居社 )、11月23日・新嘗祭(羽黒山・三神合祭殿)、12月中・焼納祭(羽黒山上)、12月23日・天長祭(羽黒山・三神合祭殿)、12月31日・大祓式(羽黒山・三神合祭殿 )、12月31日〜1月元旦・松例祭・除夜祭(羽黒山・三神合祭殿)特殊神事・冬の峰結願
 境内社:天地金神社、磐裂神社、根裂神社、五十猛神社、大年神社、天神社、豊玉姫神社、下居社、祓川神社、岩戸分神社、子守神社、天満神社、保食神社、大直日神社、葉山祇神社、日枝神社、愛宕神社、伊邪那岐稲荷神社、埴山姫神社、尾崎神社、八幡神社、厳島神社、蜂子神社、羽黒山東照宮、大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社、天宥社

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