出羽三山

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 出羽三山とは、山形県庄内地方にひろがる月山(標高1984m)、湯殿山(標高1504m)、羽黒山(標高414m)の総称で、三の数字は古来“聖数”とされ全国にその例は数多あります。修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者から崇敬を受けています。
 それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して通称「出羽三山神社」といいます。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから、羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿」とし、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われます。

 ◎月山… 月山神社(がっさんじんじゃ):月読命(月山権現) 阿弥陀如来……鶴岡市・庄内町・西川町境
 ◎羽黒山… 出羽神社(いではじんじゃ):伊氏波神・稲倉魂命(羽黒権現) 正観世音菩薩 ……鶴岡市・庄内町境
 ◎湯殿山… 湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ):大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現) 大日如来……鶴岡市・西川町境
   他に広大な神社境内には、108末社の神々の社があり、八百万(やおよろず)の神々が祀られています。

歴史
 出羽三山は、約1,400年前の推古元年(593)崇峻天皇の御子・蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられます。崇峻天皇が蘇我氏に害された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入りました。そこで、三本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて三山の神を祀ったことに始まると伝えられています。

 月山神社は延喜式神名帳に記載があり、名神大社とされています。出羽神社も神名帳に記載のある「伊氏波神社」(いてはじんじゃ)のことであるとされ、古来より修験道(羽黒修験)の道場として崇敬されてきました。
 出羽三山神社は自然崇拝、山岳信仰の「古神道」から発した神社ですが、平安時代の初め仏教の強い影響を受けて神仏習合し、鎌倉時代には「八宗兼学(はっしゅうけんがく)の山」とも称され、真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され「東三十三ケ国総鎮護」として篤く尊崇されてきました。
 明治の神仏分離では神社となり、旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社でした。戦後は神社本庁の別表神社となっています。
 現在毎年8月末には出羽三山神社、羽黒山修験本宗のそれぞれの山伏により「秋の峰」と呼ばれる1週間以上に及び山に籠る荒行が行われています。
 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

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