飛鳥神社

酒田市飛鳥 (平成22年8月16日)

東経139度56分08.29秒、北緯38度53分02.67秒に鎮座。

この神社は、羽越本線・砂越駅の南東2.5km程の辺り、飛鳥の街中に鎮座しております。街中と言っても、庄内平野の中央近く、人家が密集している筈も無く、境内は広々としており、緑に囲まれた静かな神社です。地名の飛鳥も神社名からきており、付近には出羽国府と思われている城輪柵や、延喜式式内社である小物忌神社などもあり比較的早くから開け、門前町として栄えたと思われます。

飛鳥神社
主祭神 八重事代主命
配祀神 須佐之男命・大己貴命
由緒沿革
宝亀五年(774)大和国高市郡飛鳥神社(現奈良県高市郡明日香村・飛鳥坐神社)より勧請創祀される。
大同二年社殿再建。時の朝廷詔す佛工に十一面観音を彫刻させて安置し、是より飛鳥大権現と称した。寛治元年源義家出羽守に任じられ、東夷征討の為本神社に参拝する。
養和元年四月十八日鎮守府将軍藤原秀衡仁王尊二躯を運慶に刻ませ当社に奉献する。身の丈一丈四尺、仁王尊の足もとをくぐりわが子も仁王のようにすくすくと、たくましく育つように願う、親子づれ参詣は今も続く。
天正十七年上杉の臣甘粕備後守河北を領し祈願報賽社殿を修築、例祭日には領民に餅搗き、土用餅の起源となる。
慶長十五年最上義光庄内を平定しようとして当社に祈願し、同十七年六月四日、出羽守最上義光社領二十三石を寄進し、最上家の永大の祈願をする。元和八年酒井忠勝当国入部以来祈願所とし、本殿に酒井家紋を差許される。
元禄年中酒井藩より社殿再建につき相当奉加差許される。正徳三年仁王門再建藩主より材木の寄進があった。享保十年仁王尊躯衣替えの節酒井忠真公より金子奉納される。
嘉永三年本殿再建等領内安全武運長久の祈願所とされ、御材木金子を奉献される。
明治三年神仏分離の政令が発令され、境外に一宇を新築し、明治四年に十一面観音・仁王尊二躯を安置する。・・・・・
境内由緒書より。全文はこちら。

神社全景

一の鳥居と社号標

神橋と参道

二の鳥居

境内

参道中程の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(昭和12年(1937)10月24日建立)

拝殿

向拝下の彫刻

海老虹梁上の力士。拡大写真はこちら。

拝殿内部。明治迄は飛鳥山XX寺の本堂だったようです。

祭りで使うのでしょうか。不思議な物が。


六所宮(正面と側面から)



厳島神社

宗像神社

稲荷神社