飛澤神社

酒田市麓 (平成22年8月16日)

東経139度57分10.96秒、北緯38度58分07.37秒に鎮座。

この神社は、酒田市の北部、羽越本線・本楯駅の東5km程の辺りに鎮座しております。344号線から少し北へ入った所に境内入口がありますが、参道を100m程登ったやや高い所に社殿が建っております。鳥海山の御神霊を鎮める為に創建されたこの神社は、今も深い緑に囲まれた静かな神社です。嘗ては小物忌神社と称し、出羽國飽海郡、小物忌神社の論社の一つです。所在地の「麓」という住所は鳥海山の麓という事なのでしょうか。

昔は小物忌神社と称し、鳥海山大物忌神社と共に出羽の国の古社です。平安時代貞観13年旧4月8日の鳥海山大爆発に伴い、貞観13年(871年)に勧請されました。御祭神は、豊受姫命で別に保食神または稲倉魂命とも申し、生活の本源たる衣食住の守護神です。なお、天降堂は、飛澤神社の御神霊の発祥の地です。
酒田市公式サイトより。

飛澤神社由緒
当社は、平安時代前期、貞観十三年(871)四月八日、鳥海山大噴火により、その神霊を鎮め奉るために「天降堂」を創建したのがはじまりと伝えられております。降って中世に至り、観音寺城主来次氏代々の崇敬厚く、慶長二年六月に現在地に奉遷し、神田を寄進されました。御祭神は豊受姫命(伊勢外宮御祭神と同じ)、稲倉魂命、月夜見命の三柱をお祭りしております。古くは観音寺城の守護神として、また衣、食、住をはじめ産業全般と地域の振興をお守り下さる神として郷村あげて崇敬をよせられております。昭和三年創建壱千六十年の記念として、御本殿の屋根を銅板葺き替えと、幣殿、玉垣の新築工事は、氏子はもとより多くの崇敬者の協賛金により完成されました。
平成三年壱千壱百二十年の記念事業として、社殿修復と参道整備に着工したのであります。明治十二年に建立されました社殿は木羽葺きで、大正九年に瓦に模様替えをしております。また、御大典の記念として昭和九年五月に建立されました手水舎の銅板葺き替えおよび左大臣、右大臣の修復を行いました。・・・・・以下省略
境内由緒書より。全文はこちら。

神社入口の一の鳥居

参道はやがて左に曲がり二の鳥居となります。

二の鳥居と八坂神社

参道

拝殿

拝殿前の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(年代不明)

海老虹梁上の力士。拡大写真はこちら。

本殿


参道途中の八坂神社

稲荷神社