八幡神社

酒田市市条 (平成22年8月16日)

東経139度56分28.41秒、北緯38度57分42.50秒に鎮座。

この神社は、酒田市の北部、羽越本線・本楯駅の東5km程の辺りに鎮座しております。由緒書の住所は「飽海郡八幡(やわた)町市条字水上壱番地」となっており、この辺りが門前町として開けたことを伺わせます。問題は「はちまん」と読むか「「やわた」と読むか?。

八幡神社(やわたじんじゃ)とは、山形県酒田市市条にある神社である。旧称一条八幡宮、これにちなんで一条八幡神社とも呼ばれる。酒田市旧八幡町はこれに由来する。
八幡神社(旧称:一条八幡宮)は、出羽山地より流れ出た荒瀬川が、庄内平野に向かって開ける市条地区に所在する。市条の名は、条里制に由来する。
一条八幡宮の創建は、元慶元年(877年)に、出羽国国司藤原朝臣により、蝦夷討伐を祈願して、石清水八幡宮から勧請されたことに始まる(小野篁による勧請とも)。建立当時の出羽国府「城輪柵」に近く、出羽国府宮(総社) ではなかったかと推定されているが、諸説あり、いまだ断定はされていない。
清和源氏の崇敬により、八幡信仰が全国的に伝播するようになると、一条八幡宮は、代々の国司、郡司、民衆の信仰を集めるようになった。室町時代の永享年間には、神社周辺に堀を廻らして荒瀬川の水を引き、寄進された周囲の田畑への灌漑を行った。
ウィキペディアより。

ウィキペディアは「やわた」と読んでおり、嘗ては「やわた」と呼ばれていたと思われます。しかし酒田市公式サイトでは「はちまん」と読んでおり現在は一般的な「はちまん」と読んで差し支えないようです。

祭神 應神天皇・仲哀天皇・神功皇后

御創建
平安時代前期、元慶元年丁酉(877)第五十七代陽成天皇の時代に大和朝廷の命により出羽国の国司藤原朝臣興世は、陸奥国の夷俘民族の反乱に際して山城国(京都府八幡市)に鎮座する国家皇城鎮護の神、石清水八幡宮(旧官幣大社)の御神霊を朝廷軍制覇の祈願の為に御荘河北荒瀬郡一条大泉郷に勧請された。
翌年の元慶二年(878)三月十五日出羽国の夷俘民族が大乱(元慶の大乱)を起こして当時の国府の秋田城を始め多数の民家を襲って焼失せしめる。この大乱を治める為に同年四月に朝廷は、陸奥、上野、下野より援軍を出羽国へ送り、この時鎮守府将軍であった小野朝臣春風は当神社で秋田下向にあたりこの反乱勝利鎮定を祈願されて翌年にこの大乱が終ったとされています。又出羽国風土記によれば出羽郡司小野良實が、この大乱を平定の為に石清水八幡宮の御神霊を勧請したと伝えられ、古来より荒瀬郷大鎮守、一条八幡宮と称され広大無辺なる守護神として北荘内一帯の人々から敬仰されている。
明治九年二月二十四日県社に列格
境内由緒書より。原文はこちら。

神社入口の一の鳥居

二の鳥居と社号標

神橋

境内

拝殿

拝殿前の出雲丹後。拡大写真はこちら。

(昭和9年(1934)8月建立)

神額

木鼻の狛犬

本殿


境内


共同祖霊社

加茂神社

不明の末社