西村山郡西川町本道寺大黒森381(平成20年5月4日)
この神社は寒河江ダムの東約2km、112号線に面して鎮座しています。境内と反対側に、「本道寺・月岡」と書かれた鳥居が建ち、大きな社号標変わりの案内板が立っています。その案内板反対側の道路に面した階段を上ると、大きく荘厳な拝殿が建ち、拝殿の後方に、流れ造の本殿が建っています。周囲は、鬱蒼とした森で、残雪の残る横に広い境内には、仏像や境内社・石碑等が点在していました。また、拝殿縁には「佛足石」が置かれ、まだ色濃く仏教色が残る神社でした。
御祭神:大己貴命、少彦名命、大山祇神 配祀:月讀命、伊弖波神
例祭日:9月8日
境内社:十二面山神・地蔵尊
由緒:社伝によると、大同4年(809)空海が湯殿山登拝の折、雲霧の中に光る老木があり、この老木から大日如来・大黒天の尊像を造り、草庵に安置しました。その草庵を、月光山光明院と号したといいます。空海は、従僧に対し、「此処、亦湯殿山大権現に通ずる本道とならん。汝我身に代り此処を守り、湯殿山御宝前への日月の代参の行を修すべし。大権現の霊験世に現われん」と訓して旅立たれたといいます。
その後、天長3年(827)、湯殿山の分霊を勧請して伽藍が造営され、月光山本道寺と称し、山岳宗教修験の霊場として栄えてきました。他にも湯殿山を奥の院として、大井沢の大日寺、大網の大日坊、七五三掛の注連寺が湯殿山四ヶ寺と言われてきました。
後、寒河江城主大江氏、山形城主最上氏の崇敬を受け、嘗ては梁間18間、桁68間の社殿は東北一を誇る豪華な造りで、徳川将軍家の七祈願所の一つとされていたために、戊辰戦争のさい官軍の手によって寺院は焼き払われてしまい、その後再建されました。
明治7年(1874)、奥の院湯殿山が国幣社に祀替えになるに及んで本道寺も還俗し、口宮湯殿山神社と改称しました。
川向こう、月岡地区からの参道 | 道路に建つ「本道寺・月岡」と書かれた鳥居 |
社号標変わりの案内板 | 神社入口 |
入口脇に建つ仏像3体 | 境内入口 |
境内入口にいる建立年代不明の尾立ち狛犬 境内にはまだ大量に雪が残っていました。阿は今冬の大雪で倒れてしまったのでしょうか? 幸いなことに雪のクッションのお陰で損傷はなさそうです。早く元通りに起こされ、台座の上に乗った姿を見たい狛犬です。建立年代不明とは云ってもこの狛犬は明らかに1700年代後半の特徴を示していますね。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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大きく荘厳な拝殿 |
拝殿正面 | 本殿 |
拝殿縁に置かれた「佛足石」 | |
境内の仏像3体 | 拝殿から見た境内入口の様子 手前、拝殿前にはまだ50cm位の 残雪が積もっていました。 |
境内左奥に祀られている 「十二面山神・地蔵尊」 |
石碑と狛犬 |
石碑前、一体だけの狛犬 建立年代は不明ですが、面白い狛犬です。阿だけが残っていますが、大きな口を開け口中に広がる大きな舌を外にも伸ばしています。尾は薄く完全に背中に張り付いています。はじめ進化系の様です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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金比羅大権現、八日塔碑 | 太神宮、金比羅大権現、百万遍供養塔 |
湯殿山供養塔 | 湯殿山永月代参碑 |
大師一千年忌、芭蕉翁碑 | 境内に咲く八重桜 |