熊野大社

南陽市宮内 (平成22年5月23日)

東経140度8分25.08秒、北緯38度4分30.09秒に鎮座。

【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
宮内駅の北、県道3号線、きらやか銀行の東の信号を北へ行くとまっすぐの石畳の道に大きな石鳥居が立ち、灯籠が並んでいます。
この鳥居からすでに熊野大社の境内のようです。ここから拝殿までの参道には鳥居が一つもありません。参道を進み左手に東郷元帥揮毫の社号標、右手に熊野大社證誠殿を見つつ熊野の杜へと入っていきます。
杜の入口には神木の大イチョウがあります。すぐに道は左に折れて石段(上と下にそれぞれ狛犬)が出てきます。これを上りきると正面右に大きな拝殿が出てきます。本殿は三つに分かれていて、本宮に熊野夫須美大神 (伊弉冉尊)、二宮に熊野家津御子大神 (素盞鳴尊)、三宮に熊野速玉大神 (伊弉諾尊) がそれぞれ祀られています。このほか広い境内には全部で二十七の境内社があります。参拝後にわかったことですが、事前に連絡すれば東北最古の本地仏像や室町時代の木製狛犬といった貴重な社宝も見ることができるそうです。

本宮の裏に隠し彫りされた三羽の兎を見つけると願いが叶うということで挑戦しましたが、大分思っていたよりも苦戦しました。でも全部見つけた時の喜びはひとしおです。
境内を歩くだけでも癒されましたが、拝殿向かいの授与所に冷たい麦茶のセルフサービスがあり、のどの渇きを癒すこともできました。
たくさんの境内社をまわったり兎を探したり、さらに社宝を見学したりするためにも、なるべく時間を割いて参拝することをおすすめします。
ちなみにここは熊野三山・軽井沢の熊野皇大神社とともに「日本三熊野」の一つだそうです。あまり使われない言葉ですが、それにふさわしい神社だと思います。
なお、入り口手前の證誠殿では「みやだんご」のサービスもありました。

熊野大神様
熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
「夫須美」はムスヒの意味。「ムス」はあらゆる物を生み出す意味。ヒは霊を表します。あらゆる命を生み出す霊妙な力をお持ちになった大神様です。
熊野速玉大神(伊弉諾尊)
「速」は勢いのある様。「玉」は魂の意味で、生き生きとした魂(生命)の神様です。
熊野家津御子大神(素盞鳴尊)
「家」は食べ物の意味。熊野夫須美大神と熊野速玉大神のあいだからお生まれになり、人間生活で最も大事な食料の神様です。
御由緒
大同元年(806)、平城天皇の勅命により、再建された神社です。その後も時の天皇、法王の恩恵をうけ、のちに天台宗・真言宗・羽黒修験・神道の四派も加わり、熊野修験の霊場としても栄えました。
参拝の栞より。

嘗ては、熊野大社證誠殿の場所に阿弥陀如来をお祭りした證誠寺があり、この地の中心的存在であったようです。

出羽國置賜郡宮内村、熊野三社大権現・熊野山證誠寺は、人王五十一代平城天皇の御宇大同元年再建再建。清和天皇御宇貞観年中慈覚大師(円仁)當國御下向の節當山ニ御参詣、中興の祖となる。・・・・

運慶作の獅子頭はどうなったのでしょうか?

熊野部千代定という犬飼(猟師)が、熊野本宮の大斎原(おおゆのはら…熊野本宮大社の旧地)の木の梢に3個の月形があるのを見つけた。不審に思って尋ねると、月は熊野権現であることを明らかにし、一つは「證誠大菩薩(しょうじょうだいぼさつ)」、あとの二つは「両所権現(りょうしょごんげん)」であるととおっしゃった。
『長寛勘文』所収「熊野権現垂迹縁起」。熊野大社公式サイトより。

鳥居

入口

社号標

道祖神社

参道

山形県指定文化財 熊野神社の大イチョウ
根回り7.7m、高さ約30m、銀杏としては県内でも有数の巨木である。樹齢は数百年に及ぶものと推定されている。秋には葉が鮮やかな黄色に染まり、地域の風物詩となっている。源義家が後三年の役のあとに、家臣の鎌倉権五郎景政に命じて植えさせたという伝説が残っている。

石段

石段上の狛犬

参道

拝殿

拝殿の彫刻

拝殿側面

三の宮・本宮・二の宮

中央、本宮 観音菩薩。御祭神 熊野夫須美大神(伊弉冉尊)

本殿裏に三羽の兎が隠し彫りされており、三羽、見つけると願いが、かなうと言われております。

山形県指定文化財 二の宮神社本殿(向かって右側)
一間社流造の社殿で、別名「若王子」。細部の手法は禅宗様(中国風)に、和様(日本風)も取り入れている。建造時期は室町時代末頃(16世紀)と推定され、市内に残る数少ない中世の神社建築として貴重である。社殿正面の蟇股という部分にはウズラとオモダカの葉が彫られ、美術的な評価が特に高い。

南陽市指定文化財 三の宮神社本殿(向かって左側)
三間社流造の簡素な神社である。社殿内部に残っている「寛永三年」の年号や、安部右馬助による熊野神社の再建に関する古文書等から、寛永三年(1626:江戸時代初期)までには再建されたものと推定されている。市内に残るこの時代の神社建築としては、貴重な例である。


南陽市指定文化財 洪鐘(寛永三年銘)
熊野一山の社殿等の復興をめざす安部右馬助らにより、寛永三年(1626)に寄進された大梵鐘(大鐘)である。銘文によれば、鐘を造る経費のほとんどを安部右馬助が奉納したものと考えられ、信仰の深さと財力が知られる。第二次世界大戦中の昭和17年(1942)に、全国的に金属の回収が命じられたが、この大鐘は、文化財的な価値から免除された。

鐘楼と授与所

神楽殿

八幡宮

並んだ小祠が愛宕、保呂羽、羽黒神社

菅原神社(融通神社は社の背後)

稲荷神社

左が雷神社 右が千手観音

招魂社

和光神社

厳島、白山、義家、影政神社

皇大神社

月山、湯殿山神社

大社神社

幸神社

大宮子易、青麻、山、古峯神社

土社神社

石祠