東照宮

和歌山市和歌浦西2(平成18年3月27日)

 この神社は、和歌山市内から国道42号線で南下し、和歌浦口信号を右折。海岸通りを進むと右手に鎮座しています。
 入口の鳥居を潜ると、青石を敷きつめた緑のトンネルの参道は,昼なお暗くひんやりとしており、沢山の台湾リスがチョロチョロと木々の間を走り回っていました。その参道を過ぎると,目の前に108段も続く侍坂といわれる急な階段があり,それを息せき切って登りつめると、やっと朱塗りの楼門があり、その奥に静かな境内と、荘厳な唐門、拝殿、石の間、本殿と続いているのですが、拝殿から奥は撮影禁止で境内からしか写真は撮れません。社殿は全て国の重要文化財だそうです。
 案内によると、南海道の総鎮護として元和7年(1621)、紀州藩祖徳川頼宣公によって創建されました。この時、藩主自ら指揮をとり、源頼朝の鶴岡八幡宮造営の古例にならい、石組などは士分以上のものに運ばせたようです。初代別当は、天海が任命されています。この社殿の造りは「権現造り」又は「石の間造り」といって、桃山時代の代表的な重要文化財建造物です。その豪華さは、まさに関西日光の名に相応しく、左甚五郎の彫刻や狩野・土佐派の絵画、武具類、陶器、絵画などの宝物、刀剣、衣料なども有名です。また非常時には和歌山城の南出城としての、戦略的重要性も考えられた構造になっているそうです。詳しくは下記写真でどうぞ。
 御祭神として当初は徳川家康公のみを祀りましたが,後に藩祖である徳川頼宣公も併せて祀られるようになりました。

神社入口 参道の様子
梢には台湾リスが沢山遊んでいました。 その昔、紀州藩士達が
組んだという百八段の侍坂
侍坂脇・自然石上に
ずらりと建っている奉納灯籠
重文の楼門、表と裏から
重文の唐門 拝殿正面
社務所 林檎?の花も綺麗に咲いていました。
弁財天社への石橋
弁財天社入口 弁財天社社殿
境内社・稲荷大明神入口 稲荷大明神社殿