和歌山市伊太祁曽(平成18年3月25日)
この神社は、南海貴志川線・伊太祁曽駅の南約300m、13号線に面して鎮座する式内社で、紀伊國一宮です。
案内によると、御祭神は五十猛命、大屋津姫命、都麻津姫命の三柱です。この神々は素盞嗚尊の子神で、総称して伊太祁曾三神といわれています。素盞嗚尊が全身の毛を抜いて木種とし、それを各地に配って歩き、最後にたどり着いたところが今の和歌山県であったとされ、木の神(山林業・木材業・材木業など木に携わる業種の繁栄、緑化の祖神)として、紀州の祖神と崇められています。また、五十猛命は父神と共に浮宝(船)をつくり、住民に漁の業を教え、航海、交通の安全をつかさどる為、漁業関係者の信仰篤く、また大国主命の厄難を何度も助けたことにより、「いのち神」として厄除け信仰の対象とも為っています。
創建は遥か昔で不詳のようですが、「続日本紀」大宝2年(702)によると、以前は、現在の日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう(和歌山市秋月))の社地にお祀りされていたようです。
日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年(紀元前14)と伝えられているので、その頃に山東(さんどう=現在の伊太祈曽)
に遷座されたようです。しかしその場所は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる所で、亥の森は旧社地として、小さな祠を祀っており毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が執り行われます。「寛永記」には「伊太祁曽明神ハ和銅六年十月初亥ノ日当所に遷リ給フ」と記されており、現在の社地への鎮座は和銅6年(713)ということになります。つまり伊太祁曽神社は日前宮の鎮座とともに山東に遷り、和銅6年(713)に現在地に遷座されたというのが通説です。
(伊太祁曽神社HPより)