珠簾(みす)神社

田辺市上三栖46 (令和4年10月15日)

東経135度26分25.27秒、北緯33度44分54.55秒に鎮座。

この神社は、JR紀勢本線・紀伊新庄駅の北東4.5km程の辺り、上三栖の街外れに鎮座しております。

御祭神 伊邪那美命・速玉男命・事解男命・須佐之男命・他4神

由緒
創立年代は不詳。
往古は三栖庄3ヵ村の産土神であったが、江戸時代は上中2ヵ村の産土神で社名は一倉明神社と称した。
明治元年の神仏分離の動きのなかで、一倉三社大明神を一倉社と改称したが同年一倉神社と定めた。
明治6年4月、村社となる。
同10年4月、村内の小社・叢社(坂本の軍神社・金刀比羅神社・宮ノ口の宇井神社・長瀬谷尾の切岩神社・中三栖広の広軍秋葉神社・同東之元の岩戸神社・同河野の軍神社・同冨家の冨家神社)の8社を合祀。
同26年社、務所、拝殿を建立す。
同40年4月、幣帛料社に指定。
翌41年12月、一村一社の神社合祀から、下三栖の八坂神社とその境内社(見影神社、瀧宮神社、松本神社)を合祀し、社名を珠簾神社に改称。
また同43年2月に境内社を見影神社に統一合祀す。
大正3年、会計法適用社にも指定される。
翌4年11月、御即位の大典記念として、境内に忠魂碑の建立と杉檜300本を植樹。
同13年3月、道路敷設のため境内地一部を変更する。
昭和11年、拝殿新築する。
(例祭)
珠簾神社の祭礼は、奉納相撲が近郊に知られ、以前は地元だけでなく近郷近在からたくましい青年達が集い、力強い相撲が奉納され大にぎわいを呈したが、昨今は地元小、中学校の男子力士による各学年優勝、5人抜き、3人抜きの相撲が奉納され興をよんでいる。
宵宮祭は、午後7時に宮総代をはじめ、祭関係者等が出席して神前で斎行する。
このあと上三栖地区の獅子神楽の奉納がある。
舞曲はゴシャク、にわか、地下の舞となっている。
下三栖地区の獅子舞は、中の宮(珠簾神社、下三栖拝所)にて奉納する。
当日祭は、午前10時、中の宮にて宮総代下三栖地区の関係者が参列して、例祭拝所式を斎行する。
午後12時から珠簾神社にて神前式を斎行。
続いて中三栖地区の小学生と幼児にかつがれた子供神輿が、掛け声も勇ましく元気に練り歩き祭り景気を盛り上げ、上三栖地区、下三栖地区より獅子神楽、順次奉納される。
少年相撲は、正午前より2時頃まで奉納され、境内に設けられている土俵上では勇ましい掛け声と共にはげしくぶつかり合い、力いっぱい組み、押し合う少年力士達に声援が飛び交い、幟も威勢よくはためいて応援、境内は活気に満ちる。
奉納相撲の終了を以って熱気のさめやらぬ祭礼行事を終える。
和歌山県神社庁公式サイト より。

神社入口

神額

神額

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(嘉永3年(1850)庚戌初月建立)

本殿

本殿縁側の木造狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿左右の脇社


金毘羅宮

末社

御神木