神楽神社

田辺市神子浜2-16-9 (令和4年10月15日)

東経135度23分17.02秒、北緯33度43分02.29秒に鎮座。

この神社は、JR紀勢本線・紀伊田辺駅の南1.5km程の辺り、神子浜の街中に鎮座しております。

御祭神 天太玉命・天宇受売神・火産霊神・妙見宮・毘沙門天

由緒
創祀は社伝に宝亀6(775)年9月勧請という。 江戸時代は社名を大梵天王社というように、両部神道で神子浜村の産土神として崇敬された。
慶安2(1649)年、社殿は東南向、境内は14間に7間、鳥居は2間四方とあるように、すでに特徴のある両部鳥居(俗に六本鳥居)であった。
その後、村民の信仰から境内も拡張され『紀伊続風土記』に「境内山周百四十間」とある。
明治元年の神仏分離から、明治4年社名を神楽神社と改称(この命名は詳ではないが、村名の神子浜の故事による神子、すなわち神楽巫女の住居地に因んだものと思われる)。
明治6年4月、村社に列格、明治10年3月、村内の神社(若宮神社・岩戸別神社)を合祀して境内社とした。
明治44年11月、神饌幣帛料供進社に指定、大正2年11月、社殿を改築し境内社を相殿にする。
翌大正3年2月、会計法適用社に指定された。
大正14年9月には境内を拡張し、社殿の位置を替え拝殿を新築した(俗称を六本木)。
(例祭)
神楽神社は、以前は大梵天王と稱したというが、神楽神社と改めた由来は定かでない。
宵宮祭は、11月22日午後4時から神前で執行される。
引続いて神幸渡御式が行われ、当宿主、総代、町役員等供奉して神輿をお宿へ移し御宿祭を執行する。
神輿は当宿にて泊る。
例祭は11月23日の正午、当宿にて渡御式を斎行し、当宿から神楽獅子の先祓いで子供神輿4基が続き、大榊、絹笠、紅白旗、日月旗、神輿、殿(トノ)、上臈(ジョウロウ)、御幣、祈願者約100名の行列で約2時間にわたり、氏子町内を練り歩き祓い清め廻る。
渡御に供奉するトノとは、5、6才の男児4名で白の裃を着て御幣を持つ。
ジョウロウは、5、6才の女児4名で振袖に赤の打掛けを羽織り御幣を持つ。
殿、上臈、共に当宿の親せき縁者か近所の子供がつとめる。
行列の宮入り後は、神前式執行。
巫女の里神楽奉納、湯立神事が行われる。
続いて獅子保存会々員による獅子神楽、幣の舞、寝獅子、太刀の舞が奉納される。
獅子舞奉納後は、境内で投餅が行われ本祭行事を終えるが、この後、神前にて来年度の当宿、副当宿が決まり引継がれる。
神子浜と学園で4回、文里と東山・上浜田は夫々2回の割で輪番制になっていて、例祭の神饌はお宿が全て献ずる。
引継ぎは、お神酒と大根の輪切りに塩をつけたものを肴にして献上し、また当宿主も食し決定する。
当宿は、12月1日の冬神楽祭、7月1日の夏神楽祭、11月23日の例祭の神事をつとめる。
冬神楽祭、夏神楽祭には、巫女神楽と湯立神事が執行される。
和歌山県神社庁公式サイト より。

神社入口

神額

神門

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿


末社