西牟婁郡白浜町日置(平成18年3月28日)
この神社は日置川河口右岸、223号線突き当たりに鎮座しています。寺院のような白壁に囲まれた参道を進むと鳥居が建ち、その奥が境内です。その境内にはいるとすぐ眼にはいるのは、境内中央に聳え立つ推定樹齢700年、全国第4位の「相生のくすのき」です。勢いの良い、枝振りが素晴らしい、威厳に満ちたご神木です。その奥には横に広い拝殿、またその奥には荘厳な五社殿が建ち並んでいます。境内右手上には境内社五社が鎮座し、年代が違う3対の狛犬もそれぞれ個性的で素晴らしい物でした。
日出神社・神船由来によると、紀伊風土記によると 太平年間(970〜979)以前の創建で、「出月宮(月読命)」と称しました。明治42年、神社合祀令により、天満宮(菅原道真公)、皇太神宮(天照皇大神)、熊野座神社(伊邪那岐命、伊邪那美命)、籠神社(彦火明命・豊受大神・天照大神・海神・天水分神)、杵築神社(素盞鳴尊)、住吉神社(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、須佐神社(須佐之男命)、秋葉神社(火之神迦具土神)、愛宕神社(伊邪那美命・伊弉册神・火産霊命(火迦具土神))、恵比須神社、金比羅神社など、旧日置村の21社を合祀して「日出神社(現御祭神・月読命、天照大神、天児屋根命、応神天皇)」と改称しました。第二次大戦後、明治期に合祀された神社は元の鎮座地に戻ったものもありますが、「日出神社」の名称はそのままとしました。
毎年10月15〜17日には熊野水軍をかたどった神船を、若者が勇ましく神社から大浜まで運び汐で浄める、荘厳で勇壮な祭り「神船祭」が催されています。
日出神社 神船由来
祭祀の発祥は 紀伊風土記によると 太平年間(970〜979)以前より「出月宮」と称し、神はツクヨミの命となっている。明治42年11月神社合併をなしたる際に「日出神社」と改名されたものであり 以来10月17日をもって例祭の日とされた。
神船祭りは寛政年間(1789〜1800)熊野灘一円に鯨を追う漁業が活況を示した頃 紀伊半島一帯の浦々は造船技術と船の操業に長けていたところから 熊野水軍の発祥をみたのであろうが、神船は当時の諸手船をかたどっています。
船体中央の神を安置した神輿の前には雄雌のお稲荷さんが商売繁盛の願いを込めて鎮座し 弓矢、長刀、のろしの竹筒等が添えられています。(省略あり)