大国主神社

紀の川市貴志川町国主(平成18年3月25日)

 この神社は、南海貴志川線の終点駅・貴志駅の南約600m、貴志川の畔に鎮座しています。

 主祭神は大国主命、配祀神は天照皇大神、少名比古那命、境内社に市杵島比売大神をお祀りしています。続風土記によれば、八十神からの危難を逃れ、五十猛命のもとへ行こうとした大国主命がこの地を訪れた事を由緒としていますが、古事記では母神が大国主命を紀の国の大屋毘古の神のもとに逃がしたとあるようです。(神奈備にようこそ参照)
 貴志川沿いの参道は長く、今では一般道として使われています。道路最奥の神社は物音一つ聞こえない静かさで、大国主命がお休みになるに相応しい佇まいを見せていました。今でも近隣の方の崇敬を受けているようで、私達が参拝していた時間にもご近所のご婦人達が熱心に参拝なさっていました。近くには貴志川で最も深い国主淵があり、次のような民話が残されています。
 『浮いた仮面』
 その昔、大旱魃がありました。貴志川も川原と化し、国主淵だけに水がたまっていたのです。そこで庄屋たちは相談し、この水をかする(くむ)ことにし、大勢の農民を集め、水車でかすり出すと、淵の竜宮穴の入り口をふさいでいる大木が見えました。この大木を除くとまだまだ水が出ると庄屋たちは考えました。そこでこの役を岸小野の郷士、橋口隼人に頼み、隼人は桜井刑部に命じました。刑部は早速淵底にもぐり、やっとのことで大木を動かしました。すると、一天俄にかき曇り雷とともに豪雨が降りだし、人々は恐れおののき逃げまどいました。刑部はようやく鞍懸岩へ泳ぎつき、水面を見ると、たくさんの仮面が呪うように、笑うかのように浮き沈みしています。「おのれ」と再び淵に飛び込み、翁の仮面、三番そうの仮面、鬼の仮面を拾いあげ、その一つを時の領主に献上し、一つは高野山に納め、あとの一つは橋口家で保管したということです。(新・紀州語り部の旅より) 
 また国主淵には、ここに住む竜によって女性がさらわれたとの言い伝えもあり、当時は貴志川の水が氾濫して人が流される被害も多く、それを『竜が人をさらう』と置き換えられたと思われ、この伝説は昔の川の氾濫がいかにすさまじい物だったかを如実に示しており、人間がその自然の畏怖をどのように鎮めるかを苦心していた様を窺い知ることが出来ます。またこうした災害を無くすために、大飯盛物祭というお祭りが行われました。
 神社の案内によると『大飯盛物祭』とは、鎌倉時代末から貴志川神社に伝わる珍しい神事であり、民俗的行事でもあります。盛物とは、高さ5m横3m程度の電球のようなものを竹軸で作り、これにむしろを巻き、餅をぐるりと取り付けたものです。江戸時代には旧暦の3月3日(現在の4月3日)に西・中・東の三貴志から各一本ずつ奉納され、この中の一本を国主淵に投げ入れたといわれています。この祭りは市指定の文化財にもなっている全国的にも類例のない奇祭ですが、規模が大きく、準備や経費に相当な負担がかかることから、約10年に一度の割合で執り行われています。 

参道入り口に建つ一の鳥居 参道の様子
社号標 境内に建つ二の鳥居と奥に弊拝殿
檜皮葺き三間流造の本殿、正面と脇から
明治元年という激動の時代に奉納された浪花狛犬。
紅白の布を巻いているのは、どんな意味があるのでしょうか。
(明治元年8月建立)
市指定文化財、高床式舞台造の神楽殿 社務所
境内社・市杵島比売神社 境内の様子