神路原(こうろばら)神社

紀の川市中鞆渕?(平成18年3月26日)

 この神社は、和歌山市内や国道24号線480号線などに大きく案内があり、「一体何処にあるのかしら?」と思っていたところ、丹生都比売神社参拝の帰途に480号線で神路原神社入口の案内が見つかり、夫が「こんな所にあったのか。こちらに来る機会もそうそう無いだろうから、今回行ってみよう。」と、俄然その気になってしまい急遽予定変更、4号線・県道高野口野上線へと車を乗り入れたのでした。
 しかし、「『ここからならすぐ近くにあるに違いない』という根拠のない思い込みは、物の見事にすぐに打ち消されました。」 初めは快適だった道路も、4号線を離れると程なく山に入り林道を登ることとなり、細くて険しく舗装されてない道を看板が示す方向に向かうと、『このまま車で行けるのかしら?』と何度も不安になりましたが、引き返そうにも迂回する場所も待避所も有りません。余りに酷い道なので心細くなり、引き返そうと思う度に進行方向に「←神路原神社」と看板が出てきます。それでもあまりの遠さに、私が「未だ行くの〜。もう止めましょうよ。」というと、頑固な夫は「いや、ここまで来た以上は、絶対行くぞ!」と取り合ってくれません。
 どれくらい走ったのでしょう?ナビゲーターの私も現在地を把握できなくなった頃、やっと目の前が開け「飯盛山荘」の看板が見えて来ました。ここは温泉が出るそうで結構人気があり、こんな山奥の辺鄙な場所にも車が何台か停まっていました。近くには北条一族の残党と楠木正成が戦った飯盛城址の標識がありました。(因みに現在では神路原神社関連の飯盛城が建っているそうです。) また日本基督教会「祈祷院」という建物があり、『こんな山奥にどうして?』とまたまた『???』
 ここからは道路が下りとなり、程なく神社へ無事に到着。なんと480号線の入口から25分もかかっていました。
 でも、そこには鉄筋建ての大きな駐車場が…。またまた『???どうしてこんな辺鄙な山奥に???』すぐ右手には大きな鳥居。その奥に社務所らしき大きな建物が有るのですが、そのまた奥には個人宅と鉄工所のような建物が見えます。その前面には先ほどの駐車スペース上が野外ステージと広大な広場になっているし…。『何か間違っていない?』と思い戸惑っていると3台の車がやってきて、先ほどの個人宅と思われた家に声をかけ、何とその家から若い神主さんが出てこられたのです。
 そしてその一団は奥へと進んでいきます。是幸いと私達もその後に続きます。この辺りは標高が高いので参道脇には未だ蕗の薹が沢山出ていました。杉木立の暗い参道を過ぎると明るく開けた広々とした境内に出ました。20年毎の正遷宮が平成13年にあったようで、とても綺麗に整備された境内には真新しい拝殿、仮殿、祓殿、社務所などが整然と建ち並び、その後方に聳える飯盛山山頂近くには本殿がチラッと垣間見えます。そこで先ほどの方達はすぐに祝詞為らぬ般若心経を称え始めました。私達は「???」ただ黙って静かに後ろに控えるだけ…。考えたらここは高野山にも近く神仏習合はたまた山岳宗教色が色濃く残っているのは当たり前。この神社を新興宗教系と言っている方がいますが、私達はむしろ信仰の先祖返りと思いました。
 御祭神は天巳大神、蛇神様のようです。ここでは春を告げる「初巳祈願大祭」が行われ、獅子舞の奉納などの神事に加え、健康などに御利益があるというモチまきも行われ、沢山の参拝者が、御利益があるおモチをありがたく戴いていくそうです。
 この神社も一生忘れることのない思い出深き神社となりました。

鉄筋建ての大きな駐車場上に造られた
野外ステージと広大な広場
般若心経を称え始めた参拝の様子
拝殿と奥に仮殿 祓殿
回廊でしょうか?
八百万の神を祀る末社でしょうか?
飯盛山山頂近くの本殿
参道脇の蕗の薹。美味しそうです。