九頭神社

紀の川市荒見294 (令和4年10月15日)

東経135度25分22.74秒、北緯34度15分05.13秒に鎮座。

この神社は、JR和歌山線・粉河駅の南東2.2km程の辺り、荒見の街外れに鎮座しております。

御祭神 須佐之男命・稲田姫命

由緒
当神社はもとは今の鎮座地より東北の方向約二丁馬場田と云う所に鎮座しておったのを、天正15年の春今の場所に遷したと伝えられ、今でも旧場所にはその型成が判然と残っている。
鎮座して居る所を亀甲山と称し、亀甲石の上に本殿が建てられているので特に変わっている地形が境内地前方第一の鳥居の所で両側の谷川が丁度海亀の尾をかたどり、社殿後方で頭部を造り山頂に向かう亀の背中の真中に亀の甲そっくりの大岩があり、めでたい亀にあやかり、永久に鎮まります様にと建立されたと伝えられ、往古は社有地境内地も相当に広く、建物も本殿、拝殿、舞台、東西庁舎、神宮寺本堂、僧房、釣鐘堂等相当盛んであったと伝えられている。
御祭神は須佐之男命と稲田姫命の2柱の神であり御神徳は改めて申し述べる事もない程国民に知れ渡って居り、神宮に奉祀する天照皇大神の弟神と、八呎の大蛇を討手げられた時に助けられた姫神で真に立派な夫婦神であり諸の産業の神である。
紀の国の緑も須佐之男命の御力であり又稲田姫命はその名の示す通り農業特に稲作の神であり、日本民族の基を礎かれた神である。
当社は通稱「あらみの宮」として知られ、崇敬者参拝者は本州全般に亘り、特に子供の「ヒキツケ、驚風」には霊験いちじるしく、頭の神様として篤い信仰がある。
氏子青年団との結びつきが固く、古くから神社の祭典行事等全て青年等の奉仕によって行われる習わしになって居る。
又当社の投餅行事は昔から欠かした事がなく、毎年の例祭には近郷よりの参拝者出氏子等等広い境内を埋めんばかりの賑わいを見せる。
夏祭りには氏子の75才以上の長寿者を招き、更に長寿健康を祈り、青年団の奉仕による火炉しが行われ、種々の子供等の行事も行われ、氏子と神社の結を更に深めている。
節分には年をとる豆を供へ、田植が終わると苗と共に五穀を供へ豊穰を祈り、大晦には火たき行事を行い、氏子等はこの火を戴き神棚に燈明を上げ正月の雑煮の火種とするが、生活環境の変化により、次第に薄れて行く状態になって来ている。
又種々の祈願をこめる時や、礼参りには一臼餅を投げ餅にして供え、又白州の石を一包献納するとよいといわれている。
和歌山県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

拝殿

拝殿前の狛犬

拝殿内部

本殿

本殿縁側の木造狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿縁側の木造狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

左右の脇社


末社

末社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

社日