藤白神社

海南市藤白(平成18年3月27日)

 この神社は阪和自動車道・海南ICを出て市内に向かい、藤白信号を戻る感じで右折。紀勢本線を潜り、坂を上がると右手に鎮座しています。

 創建は景行天皇5年(75)の鎮座にはじまり、その後、斉明天皇(655〜661)が牟婁の温湯(現在の白浜湯崎温泉)に行幸の時、社殿を建立されたといい、その縁で境内社として、有間皇子神社を祀っています。その後、平安から鎌倉時代にかけて熊野信仰が高まる中で、藤白若一王子と呼ばれていたこの神社に大鳥居を建てて、熊野一ノ鳥居として熊野九十九王子中、最も格式の高い五躰王子の一となり、熊野聖域の入口・門として、祓戸王子を鳥居の近くに設けました。また歴代上皇・法皇の熊野御幸は延べ百回にも及び、その時には必ずここに宿泊され、特別な催事が行われたそうです。
 又地名の藤白の由来は、この地にあった藤松に藤がまつわりつき、有間皇子の非業の死を悼むかのように、33年に一度白い花を咲かせから…との伝承があるそうです。
 主祭神は饒速日命、配神には熊野坐大神、熊野速玉之男神、熊野夫須美大神、天照大神、祓戸大神、事解之男命、玉依毘売命、境内社として熊野杼樟日命(子守楠神社)、有間皇子(有間皇子神社)、恵比寿神社、巳神社、祇園神社、住吉神社、秋葉神社、塩竈神社、松尾神社が祀られています。
 この神社には太古さながら楠の大樹が5本も聳えています。市の天然記念物となっており、中でも子守楠神社の裏手にある3本の楠は、その昔村人の飢饉を救った古の大楠の切り株から発芽し育った物だそうで、楠そのものが信仰の対象となっています。
 又、近くには日本で一番多い姓である鈴木姓のルーツとなった鈴木氏の鈴木屋敷があり、中世、熊野信仰が全国的に広まったのは、ここ、藤白若一王子権現社の神官であった鈴木家が熊野比丘尼を使って牛王(熊野権現のお使いと伝えられる烏文字で書かれた熊野山独特の神符)を広く頒布したことが大いに貢献したといわれています。(熊野古道のすべて参照)

駐車場で育つソテツ 駐車場からの神社入口
表参道入口 境内入口
明治2年生まれの素朴な浪花狛犬。
(明治2年11月建立)
拝殿 弊拝殿
本殿 境内社・恵比寿神社
藤白王子権現本堂 「藤白王子権現」としての熊野詣でが
盛んな時代に建立された仏像。
「権現」とは、日本古来の信仰で、
神様と仏様が一体になって祀られた
神仏混淆の時代に、本地仏が
権に神の姿で現れているという信仰です。
有間皇子神社 多数の境内社
境内社・子守楠神社遠景
子守楠神社拝殿 子守楠神社本殿覆い屋
市の天然記念物・大楠。
傍で見上げると、まるで太古の昔に帰ったような、
何か懐かしいような、不思議な感覚に見舞われます。